ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

未明の豊橋駅

そろそろ旧型国電が引退するというので、飯田線に乗車することにしました。目的は撮影よりも車内アナウンスと吊り掛け駆動音の録音。静岡から深夜の大垣行きに乗車して未明の豊橋駅で下車しました。清水から静岡までどうやって行ったのか・・・全然覚えていませんが、メモによれば大垣からの東京行きに乗って一旦、富士まで戻り、そこから大垣行きに乗ったようです。静岡から乗るよりも着席できる確率が高いと踏んだのでしょうか。いえいえ、それもあったのかもしれませんが、静岡に向かおうとすると清水発23時50分ですが、富士に向かうのであれば清水発1時13分となります。この発車時刻が今回の旅では結構重要なのでした。

まあとにかく豊橋には4時43分に到着したことになっています。例によって露出不足が半端ないポジなので、ムラが出まくりです。
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新しい旧型国電の80系と本格的な旧型国電。行先板の誤乗防止効果は大きいでしょうね。乗車するのは辰野行きです。

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クハユニ56002

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クハ68405

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クモハ54108

全ての扉を開けるわけではないようです。
乗車したのは写真を撮っていないクモハ51200です。間違ってもクハには乗車しません。

形式を見ても全くピンと来ません。どれも同じに見えてしまいます。豊橋を5時51分に発車し、終点辰野到着は13時ちょうど。195.8kmを7時間9分もかけて、90以上もの駅を一駅一駅丁寧に停車してゆきます。表定速度30km/h未満。
カセットテープと電池は十分に用意してきたので、全線に渡ってテープを回します。でも、ひとつ不安が。ただでさえ寝不足なのに、列車に揺られたら、それはもうゆりかごの中の赤子同然。せめて、テープの入れ替えだけは仕損じない様にと心するだけです。

ほとんど夢うつつの状態ながらも、90分テープ5本に渡り無事に録音することができました。しかしこの旅行は、飯田線乗車に留まらず、この年から発売された「青春18のびのびきっぷ」を使って豊橋~辰野~松本~名古屋~京都~鳥取~岡山~姫路~和田山~大阪~天王寺~亀山~奈良~京都~清水と、とにかく鈍行列車に乗りまくる、まるまる3日間の行程です。夜は寝台鈍行の「山陰」と「はやたま」で過ごしますから、もう朝から夜中まで乗り三昧。それなのに、いきなり初日にテープを5本も使ったんじゃあ、この先の生録は控え目で行わなくてはいけなくなりそうです。

最初の話に戻りますが、清水を23時50分の列車に乗車したとしたら、1日目の切符はわずか10分で効力をなくしてしまいます。それを嫌って、日付の変わった1時13分に乗車したわけです。でも、清水では1時13分の列車に乗るまで、一体どこで何をしていたんだか。

昭和57(1982)年7月30日