ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

高速試験列車 2往復目

高速試験運転については、ウィキで「小田急LSE7000形」を調べると分かりますので、ここでは説明しません。面倒臭いしい。

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いきなりピンボケ。

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架線ビームの影が。

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ズド~ン。架線柱の影が。「巨人の星」最終回、星 飛雄馬が左門と京子さんの結婚を見届けて、教会を去り行くシーンを思い出してしまいます。若い人はわかんねえだろうなあ。「巨人の星」と「あしたのジョー」に、昭和40年代の少年は熱狂したものです。梶原一騎、なんで死んだんだよ~。(泣)

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「踊り子」の愛称名は、最初、あまり評判はよくなかったような。これが「ダンサー」だったら。死ねよお前、言われそう。

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なんで「あまぎ」のままにしてくれなかったのか。「伊豆」でもいいけど。

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ポジでは分かりませんでしたが、ホキ工臨のようです。EF15 160が牽引。すっげ~ムラ。

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これも真っ黒なポジでした。ムラはスキャナーの性能なんでしょうね。所詮、民生用の安物だし。印刷屋さんのだったら1000万円とかするっちゅうし、価格差による性能の違いは大きいです。

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2往復目の返しが通過してゆきました。さあ、帰宅。

昭和57(1982)年11月28日 真鶴~根府川

昨日は、車を修理に出すのに苗穂へ行ってきました。先日の定期検査で「要修理」と指摘された箇所を直してもらったのです。その待ち時間に撮影をしておりました。先日はハイビジョンカメラを手持ちでのお手軽撮影でしたが、今日は4Kカメラで真面目に撮りました。久々~。その一部の映像はすでにYouTubeへアップ済ですが、今回初めて「ラスール苗穂」の屋上で撮らせていただきました。場所や何の施設かはググればすぐに分かるのでいちいち説明はしませんが、ビデオ的にはなかなか楽しい場所でした。春めいた陽気で気持ち良かったし。昨日はキハ183系旭山動物園号」の最終運転でしたけど、私はその列車が来る前に撤収して、修理した車を引き取りに行きました。正直、最終運転なんてどうでもいいし。ところが、修理に手間取って翌日に仕上がるとのことで、よって代車で帰宅しました。慣れないオートマ車なので慎重に運転しましたよ。豊平川の堤防には、駐車禁止区域に車を止めた鉄連中が、「旭山動物園号」が来るのを待っていました。