ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

新得山登頂

別に登山は趣味ではありません。だいぶ前にも書きましたけど。でも、高い場所から撮るためには時に山を登らなくてはいけないこともあります。しかし、本格的登山には程遠いレベルです。
深夜、「まりも」で新得駅に下車。上りの「まりも」との交換を見届けてから駅でしばし休憩します。夜通し駅が開いていることを駅員さんに確認して、一人の鉄道ファンと一緒に二人で、5時頃まで駅で休ませてもらいました。この頃はちゃんと駅員さんが夜中でも改札を行っていました。

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上り「まりも」と下り「まりも」

5時を過ぎて駅を出発します。しかし辺りはまだ真っ暗。途中、保存されているD51 95に挨拶します。
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かつては長工デフを装着していたD51 95。その姿は写真でしか見たことがありません。D51 62のようにそのままの姿でいてくれたら。とはいえ、この機関車は手入れが行き届いており、状態が良好なのは嬉しいです。

3年前に友人とともに狩勝峠にやってきた時は、ごく普通に新狩勝(信)~広内(信)~西新得(信)の各信号場間で撮影したので、この時には新得~西新得(信)で撮ろうと考えました。大きなカーブがあるからいい場所があるように思えたのです。
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新得→西新得(信) 440D
大きなカーブはあるものの、見晴らしの利くいい場所がなかなか見つけられず、そのうちに列車がやってきました。枝の間を抜くのが精一杯。諦めて駅に戻ろうかどうしようかと迷っていると、小動物の足跡を発見。シカとかクマではなく、或いはキツネでもなく、多分ウサギとかテンとかそういった大きさのよう。その足跡は真っ直ぐに山の方へと向かっていました。こんなちっけ~動物でも行けるんだから、きっとこの先、見晴らしのいい場所があるのかもしれない、などと何の根拠もない期待を抱いて「いっそ、このまま山を登っちまうか」とまで考えてしまいました。トンネルの中は流石に歩けないし。

さほど深くない雪を踏みしめて途中まで進んだところで、小さな足跡は方向を変えて、線路から大きく逸れてしまいました。そのまま進めば山の斜面、それもそれなりに急な斜面にぶち当たります。そりゃ、山だもの。それなりに急でしょう。まあ、そんなに高い山でなし、何とかなるんじゃね?
しかしやはり雪の斜面を登るのは大変です。そりゃ夏場も大変ですけどね。雪が崩れるからなかなか進めない。もがくようにして一歩一歩、崩れた雪を固めてそれを土台にするように上がるわけです。ひーこらへーこら。へとへとになって一休み。なんか音がして、下の方では列車が通過していったようですが、もう撮影どころではありません。刑務所を脱走した囚人の気持ちかも。この山さえ越えれば・・・。

もうダメ、動けない。雪の上に仰向けに倒れます。もしこのまま死んじまったら何人泣いてくれるべ。縁起でもない。荒い呼吸が収まった頃、持参したミカンを頬張り、気を取り直して前進です。しばらく上ったところで、枝に巻かれたピンク色のリボンを発見。測量か何かで人が入っていたんだ。その証拠に、ほら、木が伐採されて道になっている。その道を少し辿っていくと・・・あ~~線路、見~っけ。
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DD51牽引の421列車。客車列車が新得方面へ向かっています。でもちっちぇ~。

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特急「おおぞら2号」。183系です。これだけ望遠でも撮影していますが、既出なので割愛。

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「おおぞら1号」。ほとんど分かり辛い。移動しながらの撮影なので、三脚出すのも面倒になり、標準レンズでの撮影です。

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422D。キハ22、2連の下り普通列車。目立たせるために、かなり色彩を強調しています。ちょっとずつ移動しながら抜ける場所を探すのですが、見つかりません。このまま横移動しても山の上には出ないので、これより再び山を登り始めます。

写真の善し悪しはともかく、記録にはなったかな。
この後、無事に山頂に辿り着くことができましたが、樹木に視界を遮られて下界はさっぱり見えませんでした。

昭和57(1982)年12月30日