ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

新得山で

新得山に登頂したものの、山登りに来たわけではないし、見通しが悪くて俯瞰撮影もできないので、西新得信号場側へ降りることにします。すると、途中で少し開けたところに出たので、カメラをセットして列車を待ちました。

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広内(信)→新狩勝(信) 急行「まりも52号」
なんでもっと手前(左側)でシャッターを切らんとね。右端に新狩勝信号場へ入る分岐器用のシェルターが見えます。

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広内(信)←新狩勝(信) 下り貨物列車
ちっけ~。250mmではこれが限界。もしゃもしゃと、微妙に枝が絡んでいます。このまま左へ進むと増田山のトンネルに入ります。

これで下山しますが、西新得信号場へと続く線路が見えずに自分の居場所が分からなくなってしまいました。ま、下に降りていけば麓には着くべと思って降りてゆくと、何やら沢に出てしまいました。小さな沢なので5万の地図には載っていません。途中まで沢伝いに降りてゆきますが、見通しは悪いし何か違うような気がして沢を外れたら、うまい具合に線路が見えました。やれやれ。

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新得→西新得(信) 422列車 DD51 579
新得山トンネルから列車が出てきました。
DD51の真後ろの山には獣道が見えます。あそこを降りてきたらよかったのに・・・。この橋梁の下は道路になっており、新得駅への帰り道です。
現在、後方の斜面はかなり伐採されており、しかも車で上がれるので、西新得信号場や広内~新狩勝間を見下ろせる格好の撮影地になっています。とはいえ、ヒグマの生息地なので車から離れての撮影は怖い。夏には蜂も飛んでいるし。

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急行「狩勝2号」
トンネルの上に上がっちゃいました。
この頃は、富良野経由の「狩勝」と石勝線経由の「まりも」という2種類の急行列車が運転されておりました。

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上り貨物列車 DD51
蒸機なら、トンネルから顔を出した時に煙突から煙や蒸気がもわっと立ち昇るのですが、DD51では何の面白みもありません。混合列車ではありません。回送の客車を連結しております。

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急行「狩勝3号」
すっかり陽が陰ってきました。自分の足跡が目障りです。西新得信号場が、このもうちょっと先にあるということを、この時は気づきませんでした。

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特急「おおぞら3号」
なんやねん!これは!
ポジを見る限り、ライト以外は真っ黒でしたが、フォトショップでレベルを上げると微かに背景も写っていました。露出ムラは例によってスキャナのものでしょう。こんな所にアップするような写真じゃありませんが、これでこの日の撮影は終了したので、〆ということで。この時、16時23分。

この夜は月食があって、欠ける月を見上げながら新得駅へと歩いて戻ったのでありました。

昭和57(1982)年12月30日