ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

朝の苗穂で

「利尻」が消え、夜行「オホーツク」が消え、「まりも」も臨時列車化してしまった頃になります。「旭山動物園号」でも撮ろうと思い、カメラを回しておりました。

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6:03 はまなす
かつては「まりも」が先にやってきたものです。すでに当時で貴重な客車夜行急行。

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6:06 921D
3両目は回送車でしょうか。ここに旭川や苫小牧への回送車がぶら下がることがよくありました。キハ54やラベンダー色キハ150、日高色キハ40など。

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6:16 まりも
伝統ある愛称名の「まりも」は結構好きです。夜行「おおぞら」が「まりも」に改名した時、14系座席車+24系寝台車編成による臨時「北斗星まりも」が根室まで走ったことがありました。遠征はできずに札幌市内でしか撮影しませんでしたが、ぞくぞくしましたね。ビデオカメラの不調で、音声がブツ切れになったのは残念でした。

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6:39 127M
この頃はまだ731系の増備中で、数を減らしたとはいえ、廃止が迫る悲壮感はありませんでした。

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6:39 127M、スーパーカムイ2号
デビューしたてでピッカピカの「スーパーカムイ」。でも貫通扉はなく、その部分の窓への立ち入りはできません。未だに乗車したことがありません。

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7:03 スーパー北斗2号
中間に先頭車のないスッキリ8両編成。281系編成に283系が1、2両だけポツンと混じる編成もよく見受けられました。

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全部は写っていませんが、こちらは中間に先頭車のないスッキリ9両編成。283系が立て続けにやってきました。6+3とか7+2とかいった編成を見慣れた目には、何だか新鮮に見えたものです。

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7:25 オホーツク1号、126M
まだ両端スラント車だった頃の「オホーツク」。

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7:33 北斗4号
所定5両編成ながら、しばしば増結されていました。

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8:05 スーパーとかち1号
スーパーとかち」も偉くなったものです。283系化された時にはミニ「スーパーおおぞら」のように5両編成で走っていたものですが、261系になって増結は珍しくありませんでした。

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8:17 138M、1736M
列車本数が多いので、すれ違いや並走シーンがしばしば見られます。写真的には「被られる」こととなり厄介でしょうけど。

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8:27 912M
手稲発江別行き911Mの折り返しで、江別発札幌行きですが、協調運転するメリットはどこにあるのでしょう。この後の913Mは、倶知安からの913Dが、小樽で731系と併結するので協調運転の意味はあると思うのですが。せっかくの高性能車両なのに中途半端な使い方に感じます。

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8:29 9021D 旭山動物園
デビューからまだ半年足らずで4両編成だった頃です。結局、一度も乗ることはありませんでした。

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8:33 スーパー宗谷1号
貫通幌がみったくないです。風に煽られて、傷まないのでしょうか。もう車体傾斜装置を使うこともなさそうです。それに伴いロゴは「Tilt261」から「HET261」へ。

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8:37 スーパー北斗6号
かつて「スーパー北斗」の最速列車は札幌~函館間を2時間59分で結び、脅威の俊足を誇りました。しかし「北斗」のキハ183系や「スーパーおおぞら283系がエンジントラブルなどの事故を起こして以来、130km/h運転でブイブイかっ飛ばしていたのも今は昔です。貫通扉窓から展望もできましたしね。
せっかく北海道新幹線が開業したのに、この10年で、すっかり様変わりして「衰退」してしまった印象を拭えません。

平成19(2007)年10月7日 苗穂~白石