ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

正月撮り始め 千歳空港駅

リアル世界では令和2年の正月が絶賛進行中ですが、ブログ世界では昭和63年の正月を迎えました。この年の3月には世紀の大事業、青函トンネルの開業がありますが、その開業式や出発式は見ていないので記事はありません。などというどうでもいい前置きはともかく、遅い時間にお雑煮を食べてから昼前に家を出ました。

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11:03 新川駅 638D(大学前発)

キハ54がまだ活躍していました。苗穂運転所には11両が配置され、札沼線函館本線の運用に就いていました。

 

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11:15頃 桑園~札幌 932列車の回送列車?

キハ54の先頭部から。助士席側には自由に立ち入ることができました。

 

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11:19 札幌駅 急行「天北」の回送列車

11:26発車で、終着の稚内には18:32の到着です。天北線回りとは言え、所要時間は7時間6分。「宗谷」だと6時間33分。キハ400系「宗谷」になって5時間52分。そして現在の特急「宗谷」なら5時間10分です。どんだけ高速化が図られたか、よく分かるというものです。

 

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12:04 千歳空港駅 おおぞら5号

千歳空港駅にやってきました。理由は覚えていません。

 

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12:54 北斗7号

N183系は「おおぞら」に投入され、「北斗」は0番代が主流。

 

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12:58 千歳空港~美々・駒里(信)

760M(苫小牧行き)・おおぞら6号

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おおぞら6号

まだ新千歳空港駅ができる前です。

 

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13:10頃 列車不明 トマムサホロエクスプレス

12月にできたてのホヤホヤ。フラノエクスプレスよりも丸味を帯びて女性的な感じがする一方で、ブラックフェイスがチョイ悪オヤジ的な風貌にも見えます。このチョイ悪塗色は短期間で塗り替えられてしまいます。この年の5月以降に食堂車も加えた5両編成になりますが、その時にお馴染みの塗色になったのではないかと思います。

オールハイデッカーがいかにもリゾート列車です。各腰掛の背面には液晶モニターを備えた贅沢な造りです。今でこそ安物のビデオカメラにも標準装備されている液晶モニターですが、当時は結構高価な代物でした。

 

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13:17 千歳空港→美々 北斗8号

この頃の「北斗」は所定7両編成が主流でした。明るい新特急色は国鉄色とは別の味わいがありますが、結局10年ほどでダサつまんないJR色に塗り変えられてしまいます。

1時間ほどの滞在で一旦、札幌駅に戻ります。

 

昭和63(1988)年元日