ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

十三里駅の列車交換

「十三里」と書いて「とみさと」と読ませるとは、なかなか粋な気がします。駅名の由来は、追分からの距離が13哩(マイル)だったからだそうですが、試しに計算してみると
追分~十三里間:22.6 km
1マイル:1.609344 km
なので、22.6÷1.609344=14.043哩

え?十三里じゃなくて十四里?
「とみさと」でなくて「とよさと」じゃん。

まあ、そんなこたあ、どうでもいいのですが、キハ183系の方向幕が盗まれましたね。「オホーツク」「大雪」に運用されていた車両が被害にあったとかで、札幌運転所か旭川運転所で犯行が行われたのでしょうか?それとも網走駅?
15年くらい前にはスラント車の特急シンボルマークが盗まれているし、それ以前にも工場や運転所、機関区での盗難は後を絶ちません。稀に、犯人から盗品が返却されたこともありますが、大抵は時効になってしまうようです。
今回のケースでは模造品とすり替えられていたということですから、個人の仕業というよりも、組織的犯罪のような気もします。早く捕まえて、常紋トンネル補修工事の強制労働に就かせるのがよろしかろ。

話が脱線しましたが、十三里駅でした。この駅では列車交換がよく行われ、中でも特急列車同士の交換が多く、普通列車同士、つまりキハ40同士の交換の方が珍しかったとか。つまりそれだけ普通列車の本数が少なかったということになるわけですが。
で、珍しくなかった特急列車同士の列車交換です。
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とかち6号、スーパーおおぞら7号

「とかち6号」がいい位置に停車してくれたので、顔並びが撮れました。逆光ですけど、その分、「スーパーおおぞら」のLEDがちゃんと写っています。「スーパーおおぞら」の座敷童も懐かしい。

今は信号場になって、跨線橋もホームもなくなり、立入もできなくなっているでしょうから、こんな普通の風景も撮れません。

平成20(2008)年8月7日