ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

スラント車を偲んで 国鉄特急色

ミャンマーに行ったきり、どうなってしまったのかよく分からない国鉄特急色キハ183系4両。やっぱり国鉄色はええな~と実感させてくれる編成でした。シールながらも、運転台横のJNRマークも凛々しかったです。平成13(2001)~14(2002)年に実施された「スタンプラリーツアー」後は、快速「ミッドナイト」の運用に積極的に就き、早朝の西の里や苗穂近辺に何度も足を運ばさせてくれました。予備車とはいえ、修学旅行臨や団体列車にも大活躍し、晩年はリバイバル列車や定期列車の代走で往年の走りっぷりを披露してくれました。

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追分→安平 回送 平成18(2006)年12月2日
旭川からの回送で、室蘭本線経由で函館に戻りました。

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上幌向岩見沢 リバイバルおおぞら 平成21(2009)年10月10日
キハ183系の歴史はこの「おおぞら」から始まりました。昭和55(1980)年2月のことでした。試作車のみの1編成10両(試作車は全部で12両)が、函館と釧路間とを結びました。

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遠浅←早来駅 回送 平成21(2009)年11月8日
旭川から函館に回送される時には岩見沢から室蘭本線を走りました。「回送」表示にしないのは、ファンサービスだったのでしょうか。

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生田原→常紋(信) リバイバルオホーツク 平成21(2009)年11月21日
「オホーツク」は現役の列車であるため、往年のヘッドマークを掲出したリバイバル列車は滅多に走りませんでした。

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楓信号場→新夕張 リバイバルまりも 平成21(2009)年11月22日
「まりも」は夜行列車でしたが、この時は日中を堂々と走りました。帯広~新得間は「リバイバルとかち」でしたが、それは撮影していません。追っかは難しいと判断したからですが、しっかり追っかけ撮影をした人がいたそうです。ビデオ撮影ではセッティングに時間がかかるので、時間に余裕がないとダメです。

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錦岡←糸井 リバイバル北斗 平成21(2009)年11月22日
往年の「北斗」マークも「オホーツク」同様、代走運転であっても表示されることのないマークです。やはり大きな漢字が見やすいですね。

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小沢→倶知安 予定臨 平成19(2007)年6月5日
時代は少しさかのぼって、修学旅行臨だったかの予定臨です。山線を走る国鉄特急色は、幹線時代の山線を思い起こさせてくれます。残念ながら特急シンボルマークが盗難に遭って、鼻モゲラ状態です。盗人は今どこで何をやっているんだか。呪ってやる~~~~。

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札幌駅 スーパー北斗22号代走 平成19(2007)年11月24日
この時の代走の理由は忘れましたが、国鉄特急色車は「スーパー北斗」の代走に何度か抜擢されています。勿論、130km/hでの運転は無理です。

ハイビジョン以前でも結構ビデオカメラを回していますが、なんせ解像度の低いビデオ映像ですから、その静止画をアップするのはいささか気が引けるので、今は止めておきます。

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どさくさに紛れて変な画像が出てきましたが、気にしないで下さい。キハ183系とは何の関係もありません。留萌方です。