ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

台湾鉄路の廃駅

台湾鉄路大好きな友人に連れられて、一度だけ台湾で撮影したことがあります。順調に進む線路の近代化によって、電化や高架化、複線化が次々に完成し、すでにタブレット腕木式信号機は消滅しておりました。

それまでは、友人は自転車や列車で移動しての撮影だったのですが、この時に初めてレンタカーを借りて、慣れない左ハンドル・右側通行にすったもんだしながらも、大いに撮影を楽しんでおりました。やはり車を使うと、それまで行けなかった場所に行けたり、新しい撮影場所を開拓するチャンスが広がったりします。加えて、台湾の5月は十分にクソ暑く、列車待ちの避難場所として、クーラーの利いた車内はとてもありがたかったのです。

さて、行動範囲が一気に広がり、友人はそれまで行けなかった駅に車を走らせました。しかしその駅の周辺には人家がなく、駅そのものが不気味な雰囲気。そう、すでに廃止になってから何年も経っており、結構、荒れた様子でした。

それがこの駅
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日本の駅とは趣が異なり、「ゴツイ」という印象です。
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香蘭駅です。「シャンラン」と読むそうです。玄関前は草ボーボー。
玄関のシャッターが半開きになっていたので、中に入ってみました。
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玄関を入って左手には窓口があったようです。ウィキによると、1989年に無人駅で開業し、1992年に有人化、そして1997年に廃止されたそうです。廃止から14年目の状態になります。周辺に家がないのでは、利用する人はいませんよね。その頃、日本にも台湾にも秘境駅ブームはまだなかったようです。

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玄関正面。

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玄関を入って右手になります。窓は何かで塞がれています。

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外から見ると2階建てのようですが、実際には高い天井と窓があるだけです。台湾はこういう駅舎ばかりです。「2階の窓から撮ろう」という希望は到底叶いません。

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改札を突っ切り、線路を横断して、島式ホームから駅舎を振り返ります。駅舎とホームの行き来は地下道が使われていました。右に見える欄干が地下道に通じる階段のあるところです。

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しかし、地下道は鉄の扉で固く閉ざされており、どうにも行き来できません。

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島式ホームの地下道の出入口ですが、塞がれて行き来できないので、線路を横断するしかありません。つか、不法侵入でしょう。はい、ごめんなさい。掲示板もだいぶ壊れています。現役時には、左側にも線路があったそうです。

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柱にも屋根にも駅名が主張しています。この分厚く見える天井も、台湾駅の特徴。

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そこを列車が通過。足回りスッキリ。でも、気分は暑くてゲンナリ

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ホームから駅舎を見ます。何かもう、樹木にどんどん浸食されているようです。

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金崙(ジンルン)方から太麻里(タイマリ)方に移動しました。数少ない青カマがやってきました。ちょっと得した気分。

この旅行中、何度かここで撮影しましたが、翌年でしたか、友人が再訪した時には駅周辺にフェンスが設置されて、立ち入れなくなっていたそうです。ここ以外にもあちこちに廃駅があって、一部、観光地化しているところもあるそうですが、人出が多いことで当局は駅跡への侵入を禁止したり、車の迷惑駐車で駅周辺の地元の人が、立入制限をかけたりしているそうです。

民国100(2011)年5月21日 南廻り線 香蘭駅跡