ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

夜の追分駅で国鉄色キハ183系を撮った

今回も手抜きのビデオ静止画で恐縮です。
イベント列車の運用に就く国鉄特急色キハ183系が、函館から旭川へ向けて回送される途中、追分駅で運転停車しました。この時も、前回の記事で触れた江差線に誘惑した友人が連れていってくれました。

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追分駅には、最後の蒸機牽引貨物列車を見送った悲しい記憶があります。満天の星がゆらゆら動く、とても寒い日でした。待合室はファンで一杯で、居場所がない私は早々に構内に出て、蒸機最終列車の到着を待っていたものです。

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何となく跨線橋

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駅には3本の列車が停車中で、とても活気があります。左から千歳行き、夕張行き、岩見沢行きになります。長~いホームがいささか手持無沙汰気味ですけど。

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ローカル線はキハ40の天下。これで蒸気でも上げていれば最高なんですけど。ありえないし。

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あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。普段は大して気にも留めないキハ40ですが、夜が彼らを魅力的に見せてくれます。

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特急列車は全て駅本屋のある1番線だけにしか停車しないのですね。

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今しばらくキハ40のいる光景を。

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3番線から岩見沢行きが発車します。

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2番線は夕張行き。この頃はまだ新夕張~夕張間の廃止の話はありませんでしたが、暇だったので撮っておきました。

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私に釣られて友人もサボを撮り出したところに、ちょうどキハ183系の回送列車が到着です。

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函館行きの「おおとり」が追分駅に停車する怪。もう、東追分もありません。

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夕張行きが発車すると、友人も本来の目的の撮影をし出しました。

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1番線の苫小牧行きは、夕張行きよりも1分早く発車しております。寂しくなった駅構内ですが、キハ183系のアイドル音はその寂しさを紛らせてくれます。

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悪党によってかっぱらわれた特急シンボルマークが復活しておりました。やはりこれがないと締まりません。

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上り「とかち」が到着です。先頭はキハ183の100番代。この到着後まもなく、キハ183系も発車してゆきました。

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写真撮影の友人には撮影がちとキツイですが、LNG輸送貨物が到着しました。機関車はホームを外れて停車するのでバルブも無理。

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LNGコンテナの後ろにはタンク車が連なっています。駅ホームで編成を撮るのは無理な状況です。この時で18:45頃ですので、陽の長い季節なら追分の前後で走行シーンの撮影が可能でした。

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下り「とかち」の到着です。この頃は特に感慨もなく、当たり前の列車を当たり前に撮影しておりました。もう12年以上も前になりますね。

平成18(2006)年12月1日

因みに、国鉄特急色キハ183系ですが、翌2日、旭川リバイバル「おおとり」として出発。私は追分~安平で撮っておしまい。
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室蘭本線の非電化区間を定期の特急列車が走ったことはないと思いますが、戦前は函館~稚内間の急行列車が、札幌を無視して運転されておりました。

途中、伊達紋別ヘッドマークを差し入れて「函館クリスマスファンタジー号」として函館へ向かいました。そして最終日の3日は、函館から札幌までリバイバル「北海」として運転されました。
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朝里→銭函
張碓駅が健在だったら、そこで撮りたかったです。追分に雪は無かったのに、銭函はこの通り。だってもう12月ですもん。函館への回送列車は撮りませんでした。