ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

清水港線廃止まで一週間(その3)2往復目

2往復目は性懲りもなく巴川に行きました。案の定、カメラを構えた人が沢山おりました。

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10:12 清水埠頭→巴川口 混9623列車
確か、青空と雲を強調しようとPLフィルターを使った気がします。でも、光の方向が違うので(太陽を背にして撮らなければ意味ない)利き目はなかったようです。そのボケっぷりを補おうと、空色を幾分濃い目にレタッチしちゃいました。

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少年はどんな写真を撮ったのでしょう。今はもうすっかりオジサンになっているでしょうね。

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踏切の機械箱の上には拡声器が。警備のおじさんはどこに消えた?

ここで列車は10分以上も停車するので、乗客は降りて、思い思いの記念写真を撮影しておりました。
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ホームは結構長いです。客車は4両ではなく5両あります。

停車中に先回りして折戸へ向かいました。バスで行ったのか、それとも会社の同僚の車に乗せてもらったのか、とんと記憶が欠落しております。
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前照灯を点灯したのはサービスでしょうか。この時代には、日中は消灯が当たり前でした。

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10:37 折戸→三保
奇をてらったわけではなく、いつも渡っていた踏切の印象を狙ってみました。街へ行く時、帰ってくる時にはいつも利用しておりました。どこかにウォークマンを置いて録音もしております。

三保からの折り返しまであまり時間がないので、何度か屋上にお邪魔した会社の独身寮へ向かいました。沿線には会社の独身寮が二棟あって、私が住まなかった寮が線路際に建っておりました。住まなかったけれども、何度も遊びには行きました。
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11:08 折戸←三保 混9624列車
天気は回復するかと思われましたが、それはただの思い込みで、厚い雲に遮られて富士山の姿などちっとも見えません。以前、撮影したシーンをトレースしただけのつまらない写真になってしまいました。一番下の写真には、かつて住んでいた会社の独身寮が小さく写っています。

昭和59(1984)年3月25日