ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

浜松機関区一般公開(その1)

鉄道ファンにとっての聖地といえば、機関区は外せない存在かと思います。国鉄時代、管理局や機関区の方針はそれぞれあったようですが、今ほどは立入は厳しくありませんでした。勿論、無断で構内に立ち入るのはNGですが、事務所にお願いすれば、何とか見学させてもらえるだけの余裕はあったように思います。そしてまた、一般公開というイベントがあちこちの機関区で催されたのも、ファンには嬉しいことでした。廃車体を自分でばらして、その部品を購入するという、いささか過激なイベントをするところもあったようです。運転所の公開イベントは、今のJR各社も毎年のように行っているようですが、国鉄時代よりは工夫を凝らして、来場者に喜んでもらるような意気込みを感じます。しかし、鉄道ファンにとっては車両を間近で見られること自体が最も重要なので、国鉄時代の、車両を並べて展示するだけのそっけない方が非常にありがたく思ったものです。

で、夏休みに浜松機関区が一般公開されました。一般公開とはいえ、どこまでズカズカ入っていけたのかは分かりませんが、こちらとしては機関車を撮影できるだけで十分に楽しめました。

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のらりくらりと、寮を出るのが遅かったので、浜松駅に到着したのは閉場まで残り45分という危機的状況下。やむを得ず、駅からタクシーで浜松機関区へ向かいました。

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EF58もいよいよ東海道線から引退し、後継には山の機関車EF62が引き継ぎます。なぜにEF62かというと、信越本線での貨物列車廃止に伴い余剰になっていたのと、暖房装置を備えていたので、荷物列車を牽引するのには好都合だったからです。EF65は暖房装置が非搭載で、EF64には余剰車がありませんでしからね。

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展示ではない機関車も近くで見られました。

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多くの電気機関車パンタグラフを下ろしていました。形式写真命のファンにとっては発狂するほどの仕打ちだったかも。

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夏休みということもあってか、家族連れが目立ちました。車両の周りをうろちょろする子供に、転んで怪我でもしなきゃいいのにと、他人事ながら気になりました。EF58の「惜別」の文字は、子供には読めないだろうな。

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クモヤ22201と右はクモル23050。北海道では見かけない電車の事業用車両。

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左のDD51 591は、貨物用の800番代の元になったSG非搭載の587~592号機のグループです。旋回窓に親しみを覚えます。

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ステンレスの飾り帯や足回りには錆が浮いています。運用から外れて時間が経っていたのでしょうか。

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廃車後、浜松工場の入換に使われていたED18 2。ED50 16→ED17 16→ED18 2という経歴があり、戦前の貨物用機関車の不足から旅客用のED50を貨物用のED17に改造し、更に戦後、低規格の飯田線で使用するために走軸付き(遊輪付き)の台車に履き替えてED18となりました。特徴ある側面の通風器が見たいところ。

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写真には写っていませんが、左にはED62 1、そしてED60 1、EF15 168と並んでいました。

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リバイバル列車で使用されたヘッドマークを掲げるEF65とEF58。

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セノハチのプッシャーEF59 1と、元EF90 1のEF66 901。EF59 1は元EF53 8。戦前、東海道本線で「富士」や「つばめ」といった特別急行列車の先頭に立っていた由緒ある機関車です。ただし戦前は、機関車にヘッドマークを取り付けることはなかったので、華やかさには欠けていたかもしれません。そしてEF66はこの翌年、まさかブルートレインを牽引することになろうとは、まだ知る由もありませんでした。

次回へ続きます。

昭和59(1984)年8月4日 浜松機関区