ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

山寺にて

通称「山寺」は、正式には「宝珠山立石寺(ほうじゅさん りっしゃくじ)」と言うのだそうですが、山にへばりついていることに変わりはなく、俯瞰大好きな私としては上がってみようかな、どうしようかなといささか迷いましたが、山を上っているうちに列車を撮り逃がしてしまうこと、光線状態が逆光であることを理由に、上がるのは断念し、山寺を背景に撮影することにしました。なんせ滞在時間は2時間しかないので、登山に1時間もかけてはいられません。

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8:29 山寺←面白山 急行「べにばな1号」
急行「べにばな」は仙台と新潟とを結んでいました。つまり下り列車で見ると、仙台→(仙山線)→山形→(奥羽本線)→米沢→(米坂線)→坂町→(羽越本線)→新発田→(白新線)→新潟という経路を辿っていました。どれほどの利用があったのかは分かりませんが、2往復が設定されていましたから、それなりの需要はあったのでしょう。この翌年には仙台~山形間の運行は廃止され、現在は米沢~新潟間の快速列車に形を変えています。

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9:02 山寺→面白山 826列車
濃い緑の中にあって、旧客の茶色と青色は風景の中に溶け込みがちですが、ED78の赤色はしっかり映えています。これがEF65やEF55とかだったら、さっぱり目立たないでしょう。

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10:11 山寺←面白山 825列車
先の2本とは趣向を変えてローアングルで狙いました。何だかよく分かりませんが、いまいちピリッとしません。バランスは良くないし。

客車列車は翌年に廃止され、「べにばな」の仙山線内廃止と相まって、仙山線内の旅客列車は全て電車化されました。
JRになってからは、山形新幹線の工事に伴い、急行「津軽」や特急「つばさ」が仙山線経由で運転されたこともありました。

結局、仙山線を訪れたのはこの時一回きりとなりました。かつて交流電気車両の開発に向けてED44(→ED90)やED45(→ED91)といった赤い機関車が試験運転を行い、その成果に基づき新幹線や交流電車、交流電気機関車が誕生したことを思うと、何とも感慨深いものがあります。因みに作並~山寺間は開業当初から直流電化されており、東北最初の電化区間となっています。

昭和59(1984)年9月24日