ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

鹿越信号場

国鉄時代には一部の信号場では乗降ができました。蒸機列車撮影のメッカとして名を馳せた常紋信号場はその代表格でしょう。日本交通公社の「北海道時刻表」にも掲載されておりました。しかしこれは信号場でありながら、仮乗降場も兼ねていたからということを後になって知りました。後に駅に昇格した仮乗降場の中にも、かつては信号場だったところが幾つもありますが、その件についてはここでは触れません。
しかし中には例外があるもので、「北海道時刻表」に掲載されていないのに乗降できた信号場がありました。そもそも時刻表に載っていないのに、どうしてそこを知っていたのかという事自体が自分でも不可解なのですが、もしかすると「SLダイヤ情報」か「鉄道ダイヤ情報」誌に掲載されていたダイヤグラムで知っていたのかもしれません。それが鹿越信号場です。
時刻表に載っていないのにもかかわらず、ちゃんと下車させてもらいました。車掌さんに「降ろして欲しい」と交渉したのかもしれません。この頃、国鉄職員は鉄道ファンに対して好意的であったような印象があります。

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15:08 東鹿越→鹿越信号場 急行「ニセコ2号」(上り)
旧線時代には鹿越駅があり集落もありましたが、金山ダムの建設に伴い線路が付け替わり、集落ともども旧線は金山湖に沈んでしまいました。仮乗降場だったのは、金山湖での釣りや、駅付近での山菜採り、キノコ狩りに訪れる利用客でもいたからなのでしょうか。

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同上 同行のK君とY君
仮乗降場に相応しく朝礼台的なホームがあります。駅名標を撮影していないことが返す返すも残念です。

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構内端で一旦停車。根室発8:30、函館着23:05の長距離列車です。長距離急行の「宗谷」(稚内~函館)と共に、山線経由でした。特急列車など目じゃないほどの長距離運転です。

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15:09 鹿越信号場←金山
急行「狩勝2号」が姿を現しました。こちらは札幌~釧路の運転ですが、「ニセコ2号」から見ると中距離列車に感じてしまいます。

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無駄に空の空間が広い、ド下手な写真の中で、2本の急行列車が顔を並べます。長距離急行列車には食堂車こそありませんが、車内販売員が乗車し、また途中駅での停車時間中に駅弁を買うことはできました。でも、これだけの長距離でありながら食堂車がなかったというのは、食堂車は庶民的ではなく利用が期待できなかったからなのでしょうか。キシ26とか、ちょっとグッときます。電車急行では食堂車は作られたのに・・・。

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「狩勝2号」が釧路へ向かいます。この当時はまだ下り列車は奇数番号、上り列車は偶数番号という命名法ではありませんでした。流行歌だった「あずさ2号」も新宿発の下り列車でしたね。

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いささか待たされた上り「ニセコ2号」も発車しました。国道から線路に降りられる階段は今でも残っているでしょうか。国道からは信号場は丸見え状態、実にスッキリしています。なお下りの「ニセコ2号」は、函館から札幌までの運転でDD51重連で旧客を牽いていました。かつてC62重連運転で鉄道ファンを熱狂(発狂?)させた罪作りな列車でした。

ウィキによれば鹿越信号場は駅員無配置となっていますが、実際にはこの時、駅員さんに暖かく迎えられ、3人揃ってお茶をご馳走になっています。除雪要員にしてはもう3月終わりで不要だった時期だし、何かと謎の残る鹿越信号場であります。

昭和53(1978)年3月25日