ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

最初で最後の天北線乗車

会社の同僚を引き連れて稚内公園やノシャップ岬を散策した後、天北線普通列車に乗車しました。普通に宗谷本線ではつまらないと思ったからですが、乗車した気動車の窓は曇りまくっていて外がよく見えず、結局、あまり面白くありませんでした。二人してほとんど、グースカ寝てました。
 
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窓を覆う曇りや氷をゴシゴシ落として撮影。どこの駅かは分かりません。いも様から猿払駅とのご指摘がありました。ありがとうございます。タブレットは三角のようです。

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興浜北線の始発駅です。列車の出発にあたっての駅員の確認事項「タ(タブレット)、シ(信号)、カ(旅客)、ニ(荷物)」、タブレットは三角ですね。

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こちらは旭川始発の稚内行き普通列車。40分間も停車。

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広い構内にはDE15がポツンと佇んでおりました。

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少女よ、白い車窓に何を思う。

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浜頓別、下頓別、中頓別、上頓別、そして小頓別を過ぎると間もなく音威子府に到着です。因みに「頓別」は、興浜北線の仮乗降場として存在していました。

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終点の音威子府駅。ここから旭川行きの324列車に乗り換える予定でしたが、乗車してきた列車が40分以上も遅れたため乗り継ぎはできませんでした。仕方なく、後続の急行「天北」に乗り換える羽目となりました。こんなことなら稚内から「天北」に乗車すればよかった。
 
昭和59(1984)年1月2日