ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂駅通過

メモが全くありませんが、その前のコマから察するに、函館で実施された中体連の道大会に出場するべく、急行「すずらん」に乗車した時に撮影したものではないかと思います。

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右に見えるトラスの跨線橋は、現在プレートガーダー橋となって使用停止になっています。そのすぐ向こう隣に現在の苗穂駅があります。トラス時代の跨線橋は、階段部に壁と屋根があり、雨や雪を凌げました。また、背の高い金網はなかったので撮影も楽でした。入換に走り回るC58の煙を浴びて喜んでいたのも遥か昔のこと。

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ホーム越しに苗穂機関区を見ます。駅のホームから間近に蒸気機関車を見ることができました。給炭施設などは、当時の機関区の象徴と言えるかもしれません。セキ車の姿もあります。駅名標を見ると、ブレていて分かりにくいのですが、左側には「さっぽろ」そして右側には上に「しろいし」、下は「ひがしさっぽろ」となっています。千歳線が単線で月寒(つきさっぷ)や大谷地(おおやち)を経由していた時代です。この1年後に今の線路に切り替えられます。

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扇形車庫前。完璧にブレていて申し訳ありませんが、ナメクジは24号機(築)。形式入りのナンバープレートでしたので容易に判別がつきます。苗穂機関区に配置されていた蒸気機関車は、札沼線用のC11と千歳線の補機用としてC57とC58がありましたが、他に鷲別や小樽築港などの機関車も常時体を休めていたので、D51や9600を多数見ることができました。この5年前であれば、札幌駅にC62やC55、D50も姿を見せていましたが、まだ鉄になる前の小学生だったので、写真など撮っていません。
いつの時代の鉄ちゃんも必ず思うのは
「あと10年早く生まれていればなあ」
でもその分、10年早く死んでしまうんですけどね。

昭和47(1972)年8月