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苗穂駅西側にあった跨線橋からの様子です。今はシン・苗穂駅のコンコースに置き換わっています。
この当時、跨線橋はレールで組んだトラス形式でした。その上弦材には、国労が設置した旗がはためいています。はた迷惑以外の何物でもありません。果たしてこいつらの運命やいかに。はい、あぼーん。
苗穂工場には廃車解体待ちと思われる車輛たちがズラリと並んでいます。その脇には解体された車輛たちの残骸が。検重車のケ10形式ケ10の姿もありますが、これは廃車ではありません。
全検上がりでしょうか。キハ56 33。ぴっかぴか。列車種別は「修学旅行」。私の中学時代の修学旅行では、キハ56系10連の臨時列車を使って、札幌~函館、函館~新琴似の運用でした。なんせ1クラス40人以上で、10クラスもありましたからね。1クラス1輌。
主に停車場や機関区構内の除雪に使用された広幅雪掻き車のキ700形式とキ750形式か。メーカー名からとって、通称ジョルダン。除雪のシーズンが終わり、安息の日向ぼっこ?
対タブレット防護柵を装備。この頃はタブレット閉塞路線が全国に数多く存在し、授受時の衝撃でキャリアが車体を傷つけないように、様々な防護策が施されていましたが、このような柵が多かったでしょうか。気動車・電車では当て板を溶接したケースも多かったです。一方、列車通過時にキャリアを駅員や乗務員が直接、腕で受け取ったりもしていたので、いやほんと、今から見れば危険この上なく、昔の人は平気で無茶をしていたものです。
昭和59(1984)年4月 苗穂工場・苗穂機関区