ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

もう少し福井にて

京福電鉄の車両を撮影した後は、少しだけ沿線で列車を撮影しました。

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貫通扉が廃止されています。隙間風や錆の問題があったようです。貫通構造に見慣れた目からすると、のっぺり顔は何とも珍妙に見えます。これはクハネ581でしょうか。

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13:25 L特急雷鳥11号」
国鉄時代には使われることのなかった貫通扉。結局、国鉄時代には宝の持ち腐れでした。将来を見越すことは難しい。

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13:32 L特急しらさぎ5号」

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13:45 快速3339M

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13:53 下り貨物列車 EF70 4
ブタ目はやはりかっちょ悪い。

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13:56 L特急雷鳥13号」

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13:59 523列車 EF70 44
EF70形式の22号機以降の2次形は個性のない顔になってしまいました。1000番代は、このグループから改造によって誕生したグループで、20系ブルトレ牽引用として7両が登場しました。

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14:00 L特急雷鳥14号」
30分ほどの間に、3種類の「雷鳥」を見ることができました。

14:12 駅に戻ると、お座敷列車が停車しておりました。
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EF70 1001(←EF70 22)

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6号車 「紀伊」スロフ12 808

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5号車 「和泉」オロ12 816

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4号車 「河内」オロ12 815

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3号車 「大和」オロ12 814

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2号車 「伊賀」オロ12 813

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1号車 「伊勢」スロフ12 807

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天王寺駅旅行センター」主催の「北陸路片山津温泉の旅」だそうです。車両は「いきいきサロンきのくに」という愛称名を持つ、いわゆるジョイフルトレインです。天王寺鉄道管理局が保有し、従来のスロ81系お座敷車の老朽化に伴う置き換えを目的とした12系客車の改造車です。種車との外観的相違はスロフ12の貫通扉部のヘッドマークと、オロ12では出入り扉が1か所になっていることくらいでしょうか。

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EF70 15
ポツンと佇む姿も風情があります。北陸本線函館本線と同様、常に特定の側のパンタグラフを使用していたので、前パンの姿が見られました。JRになってからはどうだったか?

この後は撮り鉄から乗り鉄へと転身し、福井~富山~糸魚川~富山~敦賀~(夜行急行「立山5号」)~石動と、車中泊までもして乗りまくりました。石動では倶利伽羅峠で撮影を楽しんでから帰宅です。流石に背広姿での鉄は動き辛く、色々と厄介です。出張をダシに、目一杯鉄分を補給しまくった若かりし頃のお話でありました。

昭和57(1982)年6月26日