ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

走行シーン撮り始め

中学1年生の時に鉄に目覚め、それからしばらくは、苗穂機関区で機関車の写真を撮るだけで満足していました。今から見ると、すっげ~下手っぴ~で、当時の自分を調教したい気分にさせられますが、まあ、それは詮無い事です。しかし、雑誌などで迫力ある汽車の写真や風景の中を走る味わい深い汽車の写真などを見るにつけ、そういう写真を是非自分でも撮りたいと思うようになり、その手始めに札沼線の貨物列車で実践してみることにしました。

時は高校受験を控えた中学3年生の冬休み。
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上2枚とも新琴似←桑園(今なら新川) 下り列車
下り列車は午前中に走ったので、平日・土曜日の撮影は無理。ちゃんと中学校に通っていましたから。日曜日などの休みの日にしか撮影できませんでした。

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篠路(今なら太平)→新琴似(以下、全て上り列車)
屯田の防風林手前のカーブ。地元以外の人は、どこじゃそれ?
煙が出ると思って縦構図にしたものの、煙は流れてしまって意味ないじゃん。奥に見える道路は国道231号線、石狩街道。

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新琴似→桑園(今なら新川)
防風林から追っかけてきて何とか間に合いました。貨物列車は新琴似駅気動車と列車交換をするため、10分以上も停車していたのです。DD13牽引になってから見かけたタンク車が付いていませんね。新琴似駅の発車は、煙モウモウのいで立ちでなかなか迫力がありました。

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上2枚とも篠路(今なら太平)→新琴似
またまた屯田で、カーブ位置から少し新琴似寄りで離れて撮影。下の写真に写る林が防風林。漆の木があったらしく、小学生の頃、友達とここで遊んだら、友人の一人がしっかりかぶれてしまいました。この撮影の後も、新琴似駅まで走って追いかけました。

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新琴似→桑園(今なら新川)
冬ばかりなのもナンなので、夏物を1枚。場所は、一番上の写真とほぼ同じ。この撮影以降、銀山や植苗を手始めに、札幌からの日帰り圏での撮影に出かけるようになりました。

マニュアル機能のついたオートカメラで、シャッター・絞りとも自分で設定して撮影していました。しかしレンズの交換はできないので、望遠レンズに憧れましたね。結局、蒸機の撮影は、最後までこの時のカメラ一筋で行いました。昔の人は、標準レンズだけで味わいのある写真(車両写真、列車写真、風景的写真とも)を沢山残していますから、自分の腕の無さをカメラのせいにするわけにはいきませんね。

地元なのに、結局この程度しか撮影していません。フィルム代も現像代も、使う時だけ小遣いをもらっていた身分には厳しいものがありました。でも、当時の鉄ちゃんの多くはハングリー精神で汽車を追いかけていたようです。泣かせるねえ。

昭和48(1973)年1月、6月

物持ちはあまりいい方ではなく、用途不要になると処分してしまいます。ビデオカメラも一眼レフカメラも映像・音響機器も、機能に不足を覚えたりして使わなくなると売っぱらったり人に上げたり捨てたりしてきました。けれど、この時のカメラはもうとっくに使っていないのにまだ持っています。すでに商品価値もビンテージ物としての価値も全く無くなっているのに、なぜか捨てられないでいます。まあ、場所も取らないしね。