ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

札沼線 冬の入り口

この日はビデオではなく、コンパクトカメラでお気軽撮影したようです。この日のことはほとんど覚えていません。

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15:09 浦臼行きの569Dが新琴似駅に到着。この歩道橋は重宝します。

 

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キハ141系が主体となり、キハ40系も含めてJR北海道色ばかりとなった札沼線にあって、このキハ53の国鉄急行色はまさに紅一点。凛とした佇まいは、かつて全国で急行列車を中心に、電化・非電化を問わずに活躍した、往時の使命感をそのまま受け継いだ矜持の表れでしょうか。

 

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C11が貨物列車を牽いていた時代から、周辺の様子は大きく変わりましたが、駅舎だけは当時の雰囲気を残しています。

 

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15:10 1560D

あいの里教育大からの列車と交換します。

 

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普通列車には冷房無いのが当たり前。そんな中、6年前に登場した721系電車には冷房搭載でびっくらこいたわ。JR発足間もない頃だったから、はっちゃきこいていたんだか。でもね、窓開けて風浴びた方が気持ちいいんだわ。

 

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手前の雪がちょっぴり残っているところに、かつて貨物列車が使用していた待避線がありました。帰り人が渡る歩道橋は、駅裏にマンションができたのに合わせて建設されました。撮影にも重宝します。

 

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15:13 569D

最後尾のキハ40 819の塗色は暫定的新色です。窓下の萌黄色と紺色の帯が密着しているのに、窓上の帯は萌黄色のままです。本物の新色では紺色になります。

 

せっかくなので防風林まで足を伸ばしました。

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15:37 1562D 太平→新琴似

この列車もあいの里教育大学始発の列車です。

防風林を境に新琴似屯田とに地区が分かれます。新琴似屯田兵によって開拓された街で、明治20(1897)年の入植です。当時は鬱蒼とした原生林が広がり、土地は泥炭、ヒグマも出没したそうです。遠く九州からの士族が多く、慣れない農作業の苦労もさることながら、北海道の厳しい冬は大変だったでしょうね。新琴似新琴似兵村、屯田と篠路地区は篠路兵村と呼ばれる地区でした。ロシアからの侵攻に対抗するため、屯田兵は北海道各地に配備されましたが、幸いにも兵隊として実戦することはなく、屯田の「田」の方が主体となり、頑張って土地を拓いた人にはその土地をまんま貰うことができました。その広さたるや、追給地・増給地合わせて最大で15000坪。49500平方メートル、およそ東京ドームほどの土地を貰い受けることができました。

 

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15:47 1571D 太平←新琴似

新琴似駅で先ほどの1562Dと交換してきました。釜谷臼行きです。

紅葉と残雪のコラボをこんな身近で見られる幸せ。縦構図はしっかり傾いてるけど。

 

線路伝いに防風林から少し戻り、六番通り踏切付近です。線路と宅地との境界は曖昧で、線路際でカメラを構えることに何の抵抗もありませんでした。

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16:07 564D 太平→新琴似

大学前(現 北海道医療大学)始発の列車。堂々の6両編成。沿線に二つも大学ができて、通学客が一気に増えました。

 

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16:23 573D 太平←新琴似

大学前行きです。こちらは5両編成。なんか流しています。コンパクトカメラなので、オートのまま使っていたように思いますが、かなり流れています。でも、後追いは普通。後ろの車両は妙に白っぽく見えます。ベースの灰色は、車両によって濃さに違いがありましたね。

 

「C62ニセコ号」をキチンと撮影するために会社を辞めてしまいましたが、シーズンオフにはこうした身近で日常的な姿も記録しておいてよかったですよ。

 

平成6(1994)年11月4日