ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

初夏の楓駅

新夕張駅のお隣にある楓信号場は、平成16(2004)年に駅から格下げされたものです。駅の時代には本線の上・下ホームに加え、楓止まり列車専用のホームがありましたが、本線ホームに定期列車は停まらなかったので(特急・急行ばかりだったので)ほとんど使われた実績がありません。因みに、下りホームには上り列車が停車することは可能でした。おそらく上り線、下り線とも双方向の通過が可能だと思われます。

それまでビデオでしか撮影していない楓駅でしたが、この日は何故か写真撮影。なんか、人から頼まれて撮影したような気がします。

イメージ 1
末期には朝の1本だけでしたが、この当時は夕方にも1本ありました。石勝線とともに開業した昭和56(1981)年には6本もあったのですが。

イメージ 2
すでに消えてしまった駅、まもなく消える駅が並んでいます。釧路方面へ行くには、一度新夕張に出て、そこから乗り換えねばなりませんでした。この場合、楓~新夕張間を往復乗車するわけですが、途中下車をしなければ運賃は楓からでOKでした。かつて函館まで行っていた「おおぞら」が、千歳空港~札幌間を無駄に往復していたのに比べればかわいいものです。

イメージ 3
朝の列車が到着。定期的に利用していると思われる人がいました。待合室はすでにありませんが、線路とホームは今でも保線用に残されているようです。このホームも本線ホームも、今は立ち入ることができません。

イメージ 4

イメージ 5
このホームの駅名標は、ここで線路が終わっていることを示しています。

イメージ 6
本線に架かる跨線橋は、反対側のホーム(上り線ホーム)へ行くのに使用されますが、実際にホームに降りた人はどれだけいたことでしょう。私は行きましたが、ホームへ通じる階段は何だか不気味でした。

イメージ 7
奥に見える建物にはかつて人が生活していたのでしょうね。駅まで1分の距離。

イメージ 8
列車が出発してゆきました。ここを走る国道は、かつて登川支線が走っていた場所です。

イメージ 9
ストリートビューを見ると、このバス停そのものが見当たりません。バスまで廃止されたのでしょうか。

そうだ、思い出した。親しくしていた駅員さんから「どこぞのビデオ制作会社が楓駅の写真を欲しがっているけれど、写真持っていないかい」と尋ねられて、それで撮影しにやってきたんだった。結局、そのビデオ作品のジャケットの裏に小さく写真は使われたのだけれども、楓駅はビデオ作品の中には登場していないという詐欺まがいな内容。写真の使用料はいらないから見本のビデオは送って寄越せという条件だったのですが、その制作会社はいつまで経ってもウンともスンとも言ってきません。業を煮やしてこちらから電話をすると「海外出張に行ってました」とか空々しい言い訳をした後、すぐに送ってきましたよ。これ、ローカル線の紹介ビデオで、幾つかの路線のうちのひとつが夕張支線なのですが、いかにもやっつけ仕事で希薄な内容でした。

最終日の3月12日には、この小さな駅に多くの人とマスコミが集まりました。2両編成の臨時列車も超満員で、狭いホームはさながら通勤ラッシュ状態になりました。

↓この動画の一部に当日の様子が収録されています。

ところで、ウィキではこの駅が3代目の楓駅という解説がなされていますが、登川支線時代の楓駅は昭和56(1981)年7月1日に廃止されているので、石勝線の楓駅は同じ年の10月1日に開業した同じ名前の別の駅であり、3代目という表現は不適当と思われます。

平成10(1998)年5月23日

新しいプリンタ―には自動両面印刷という機能があります。片面の印刷を終えると、用紙はプリンターの中に引きずり込まれ、今度は反対の面を印刷します。どういう仕組みになっているのかよく分かりませんが、なかなか便利ではあります。