ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

「SLときめき号」初日

前年に引き続き、七尾線に「SLときめき号」が運転されました。しかもこの年はC56とC57との重連運転です。まさにときめいちゃいましたよ。
前夜、上野から乗車した寝台特急「北陸」を津幡で乗り捨て、そこから七尾線の327Dに乗り換えて終点の穴水まで乗車。ロケハンのためです。穴水から折り返し338Dに乗り、能登鹿島で下車しました。前の年は和倉温泉までの運転だったのが、この年には穴水まで延長されたので、今回は海沿いの撮影場所を開拓します。
C56が走っていた頃は木造の駅舎で、構内に咲き誇る桜との組み合わせは、すんばらしいの一言でした。写真でしか見たことありませんが。
駅を出て、国道249号線を西岸目指して歩け歩け。勾配区間は気にしないで、とにかく風景のよさそうな場所を探しました。煙狙いは他の人に任せます。
ちょっとした高台にやってきました。えらく遠くまで見通せます。まあ天気がナンですが、第一発目はここにカメラを据えることにしました。
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10:17 能登鹿島→西岸 342D
七尾線の主力はキハ58系ですが(他には12系の客車列車も走っていた)、多くがJR色に塗り替えられていました。それも同じ塗り分けではなく、いくつかのパターンがあったようです。

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10:58 能登鹿島←西岸 331D
邪魔臭い木は、思いっきり邪魔臭く入れてしまいます。どうだ、こんにゃろ。どうせキハ58系だし。

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11:23 西岸←能登鹿島 能登路8号

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11:25 西岸←能登中島 能登路8号
あんな遠くまで見えてしまうとは。すんばらしい場所ではありませんか。

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11:41 西岸→能登中島 9903列車
でも「SLときめき号」の、無煙・黒っぽい車体では、何が何だか分かりません。orz

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11:47 能登中島←西岸 9903列車
冴えない天気な上に無煙ではありましたが、蒸気を吐いてくれたのでほどよいアクセントになりました。

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12:24 西岸←能登鹿島 350D
道を歩いていると、神社やお寺があちこちにありました。ふと目に入った小さな神社。引き込まれるように、どこかで見かけたような写真を撮ってしまいました。すぐ後ろに線路があっては、神様も落ち着けないのではないでしょうか。グーグルマップで確認しましたが、この場所は分かりませんでした。

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12:41 穴水→能登鹿島 9904列車
背景にあるのは鹿島神社。因みに私は不信心な人間です。
穴水には転車台がないので、バック運転です。展望車は大勢の乗客で溢れています。

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12:56 穴水←能登鹿島 337D
すぐに下り列車がやって来るので、線路際で撮りました。能登鹿島から乗車する上り列車まであまり時間がないので、少しでも駅に近い方がよかろうということで。

C56とC57が七尾運転所で転向している間に先回りします。天気は回復しないし疲れたせいがあったのかもしれません。枯れた田園の中で流し撮りすることにしました。

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15:03 羽咋←千路 9010D ゆうトピア和倉
アルコンタイプに改造されたジョイフルトレイン。ただし種車はキハ65です。大阪からの直通列車でしたが、大阪~金沢間は「雷鳥」にぶら下がって走っていました。協調運転ができる機器は未完成の状況でした。

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15:08 羽咋→千路 能登路7号
羽咋といえばUFO飛来で有名な場所ですが、今はどうなったのでしょう。こんなコメントしか書けないほど、ぼ~っと撮影していたようです。

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15:21 羽咋←千路 9904列車
何枚もシャッターを切りましたが、まともに止まったのはこれだけ。まさに下手な鉄砲の乱れ撃ち。

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15:37 千路→羽咋 358D

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15:43 羽咋→千路 349D
この2本の列車を撮影した記憶は全くありません。踏切で撮ったんでしょうけど。気合いの入らない撮影は記憶にも残らないようです。

平成元(1989)年2月10日

この日の前日、手塚治虫さんが亡くなりました。医者でありながら死因は胃がんによるものでした。今の時代だったら治せたでしょうね。享年60歳という若さでした。病床でも原稿を描き続けたというのですから、根っから漫画を描くことが好きだったのでしょうね。天才にして努力の人。絶筆は「ネオ・ファウスト」。