ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

「SLときめき号」二日目

金沢を発ったのはまだ夜明け前の05:31。
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05:20頃 金沢駅 かがやき1号
寝坊助な私でも、撮影旅行中は早起きが全然苦になりません。この日も穴水まで乗車しました。

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穴水駅 NT802+NT801
NT800形は、のと鉄道の車両で、七尾~珠洲間の「のと恋路号」に使用されていました。いかにも地方鉄道の優等車両という風情です。そうそう、のと鉄道の駅名は「のと穴水駅」でした。現在は、和倉温泉~穴水間がのと鉄道になっているので、穴水駅となっています。

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08:05 334D

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のと鉄道のNT100形。

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08:46 能登鹿島→穴水 327D
穴水~能登鹿島間の海の見える場所がこの日最初の撮影場所です。穴水駅から国道249号線をのんびりと歩いて向かいます。当時あったかどうかは覚えていませんが、エホバの証人のあるY字路から少し入った場所になります。

海の見える場所に到着して辺りをウロウロ、場所を探していると線路脇にちょっとした盛り上がりを見つけ、そこに上がりました。道路は余計だけれど(でも、ないと困る)海が見えるし、ここで「SLときめき号」が来るまで2時間ほど粘ることにします。天気がコロコロ変わるのが気がかりです。
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10:09 穴水→能登鹿島 342D
左側に見える対岸には、この翌年にスチルカメラとビデオカメラを持参して撮影にやって来ています。その時も天気はパッとしませんでしたが、ビデオ撮影もパッとしませんでしたよ。

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11:05 穴水←能登鹿島 331D

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11:16 穴水→能登鹿島 能登路8号
雪はすっかり解けてしまいましたが、天気が回復してきて気分は徐々に盛り上がってきます。

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11:56 穴水←能登鹿島 9903列車
でも肝心な時に、雲がお日様を覆ってしまいました。機関車と並んで走る鉄の車のせいで、車の列ができています。車間距離をまともに取ってないのも鉄の車か?

不完全燃焼のせいでしょうか、何だか急に煙が欲しくなったので、もう少し先の勾配区間へ移動します。線路際での撮影、ちょっと抵抗ありますけど。
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12:18 能登鹿島←穴水 350D
「SLときめき号」狙いのカメラマンや見物客が徐々に集まってきました。私の回りにも何人かが。集団で撮影するのって何時ぶりでしょう。

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12:37 能登鹿島←穴水 9904列車
またしても曇られてしまいました。でも、こんな撮影では、もう天気云々以前の問題ですね。2台のカメラのうち1台は、この列車だけでフィルム1本を消費してしまいました。精神が崩壊してしまったようです。
この場所は、すでに能登鹿島寄りの場所なので、能登鹿島から乗車することにしました。道のりの記憶は全くないのですが、メモによれば能登鹿島から354Dに乗車して七尾へ移動しています。

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14:47 徳田←七尾 9904列車
晴れてはくれましたが、何かもうどうでもいい写真です。この写真の後から1/30に変えて流し撮りをしたのですが、見事全滅でした。
 
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15:04 七尾→徳田 358D
何故か後追いしか撮影していません。まあ、どうでもいいですね。

七尾駅ではキハ58系の形式っぽい写真を撮っていますが、未スキャンなのでご紹介できません。

気合だけが空回りして成果はイマイチ。よし、明日こそ頑張ろう。

平成元(1989)年2月11日

この当時はミノルタのX-70とX-500を使っていました。中でもX-70はモータードライブを装着して秒間3.5コマ(当時としては標準速度)で撮れたので、無駄なコマを量産しておりました。orz。一番長く使ったカメラです。一方、X-500については、記憶が何とも曖昧です。ブラックボディーという印象だけはあるものの、モードラを付けていたかどうかすらも記憶にありません。XDがダメになったので、その代わりに購入したような気もするのですが、覚えていません。X-70はビデオ撮影が主流になってからも使い続け、最終的には知り合いに100~300mmズームレンズ付きで5000円くらいで売却してしまいましたが、X-500はどう処分したのかも覚えていません。出会いも別れも覚えていないなんて、薄情この上ないですね。