ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

再三の秩父鉄道

今度こそはと3度目の秩父鉄道。しかし3度目の正直とはならず、またまた雨の洗礼を受けるのでありました。

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08:40頃 寄居駅 242D
八高線ではいつもキハ35系キハ38しか見ていなかったので、全然珍しくないキハ40についカメラを向けてしまいました。2000番代は暖地仕様で、北海道の100番代とは異なり、デッキと客室の仕切りはありません。左側の出入り扉付近に行先サボ受けがありますが、これも車体側面中央窓下にある100番代とは異なります。

武州日野で下車して白久方面に歩いて行きました。
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10:33 武州日野←白久

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10:37 武州日野→白久
道路橋から撮ったようですが、ほとんど記憶に残っていません。列車の通過時刻が迫っていたので、手近なところで撮ったということだったのかも。

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11:10 武州日野→白久
自分の荷物を入れて撮っている。困ったものです。ここは道路の工事中だったので記憶にあります。この後、この場所でペンタ645のみで「パレオエクスプレス」を撮影しています。撮影後は、おそらく白久駅まで歩いていったのだと思います。そして返しの「パレオエクスプレス」は撮らずに、上り列車に乗車してしまったようです。

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13:53 260D、DD51 809
雨は上がらず、気持ちはすっかり萎えて早々の帰宅です。写真で見ると雨の情景も悪くありませんが、こうも雨に祟られると自分の部屋で大人しくジッとしているのが一番かと思ってしまいます。こうしてペンタ645のデビューは華々しい絵を1枚も撮れぬまま、しょっぱい結果となってしまいました。

平成元(1989)年7月29日