ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

こちらも初めての、白糠

すでに廃止されていた白糠線。その起点駅である白糠駅に、初めて降り立ちました。もっとも、目的は白糠線ではなく、海をバックに列車の写真を撮ることでした。

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10:21 白糠駅 3223D
音別から乗車してきた列車を見送ります。奥の山の上はすでに公園になっていますが、それに気づいてそこから撮影したのは、この15年も後の事でした。

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11:01 古瀬(信)→白糠駅 225D
駅を出て、せっかくなので、白糠線跡と列車とを絡めて撮影しました。

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11:29 西庶路→白糠 224D
駅から東へ、西庶路へ向かいますが、途中、高い足場を見つけたので、そこから列車を狙いました。それにしても、普通列車のくせに、急行列車のような編成です。と思って時刻表を見てみると、帯広から急行「狩勝2号」になる列車でした。帯広~札幌間の運用のせいでしょうか、グリーン車は連結されていません。

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11:33 西庶路→白糠 「おおぞら4号」
すぐに特急「おおぞら」がやってきました。白糠駅で、先ほどの224Dを追い抜きます。こちらも「おおぞら2号」と同じく11両編成です。正月ということでの増結なのでしょう。

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12:46 西庶路←白糠 おおぞら1号
国道を歩いていると山側に少し高い足場を見つけたので上がってみましたが、もろに逆光です。一応、背後に海は入っていますが、なんだかな~。しかしこの後も、移動する時間がないこともあって、性懲りもなくDD51単機を撮っています。

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13:21 白糠→西庶路 狩勝1号
急行「狩勝1号」は札幌から釧路までの運転なので、こちらにはグリーン車が連結されていました。この当時、札幌~釧路間の急行列車は、滝川・富良野経由の「狩勝」が2往復、石勝線経由の「まりも」が日中1往復と夜行1往復の、合計4往復がありましたが、繁忙期には臨時「まりも」が2往復増便されました。
先頭のキハ27 6の裾絞りの形状は、2両目以降とは異なり、少し高い位置から直線状に折れているのが分かります。

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西庶路駅に到着です。よく見かける駅前看板も、案外と資料的価値がありそうです。

西庶路から421列車に乗車して新富士駅で下車しました。廃車となった旧客が、駅構内に留置されているのを目にしてしまったからです。

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すっきりと撮れる状況ではありませんでした。スハ45以外にはオハ62、スユニ60、スユニ61、マニ60、オエ61など、大半が60系客車でした。郵便輸送、荷物輸送の廃止は、翌年に迫っていました。

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新富士からどうやって移動したのか記憶にありませんが、特急列車で帰宅するために釧路へやってきました。この後の記憶も写真もありませんので、もう書くことがなくなりました。

昭和60(1985)年1月3日