ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

白沢へ

国道7号線を南下して白沢駅へ向かいますが、その途中途中で撮影します。もう高低差はありませんので楽なものです。

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09:14 白沢→陣場 あけぼの3号

左、女神山、右、男神山。特徴的な山を背景にシャッターを切りましたが、急に陽が陰ってしまって何とも冴えない仕上がりに。因みに後方羊蹄山アイヌ語では「マッネ・シリ」(女山)、対して尻別岳は「ピンネ・シリ」(男山)と呼ぶのだそうです。

上下線が分かれる付近になりますが、下り線が迂回するようにトンネルをくぐるのは、上り勾配を緩和するためだったとか。今の車両性能なら上り線に平行してもどうということはないでしょうけれども、複線化工事が進められたのは蒸気機関車健在の頃だったので、やむを得ない措置だったのでしょう。

 

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10:36 白沢→陣場 日本海3号

今なら完全NGな撮影です(汗)。奥に見えるのは国道7号線の陸橋。非電化時代には、矢立峠を越えるべく「日本海」はDD51重連で牽引されていました。

 

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11:01 白沢→陣場 津軽

「出世列車」と呼ばれていましたが、急行「津軽」自体も旧客・10系→12系→20系→14系と出世してきました。が、夜行列車としてあるべき寝台車が、この2年前に外されてしまいました。

今年、令和元年7月に青森~秋田間で臨時急行「津軽」が運転されたそうですね。12系6両編成で。まだ普通の12系客車が残っていたとはちょっと驚き。

 

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11:13 白沢←陣場 いなほ10号

国道7号線の陸橋をくぐって、白沢駅まではもうすぐです。線路際を歩いていても撮影していても怒られなかった時代です。

 

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白沢駅に到着です。今はこじんまりした駅舎となってしまいました。この3年前に無人化されましたが、まだ有人時代の雰囲気が残っています。

 

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構内にはこんなスイッチャーが鎮座。キャブ横には「日立」の銘板が。この駅には日本鉱業専用線があったようです。

 

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11:44 白沢駅 642D

弘前発、大館行きの普通列車に乗車して大館に戻ります。わずか一駅だけの乗車です。その間、6.5kmなので歩けなくもない距離ですが、流石に疲れました。

 

昭和62(1987)年3月8日

お立ち台とは知らず

国道7号線陣場駅南側で奥羽本線をオーバークロスする手前では、集落へ向かう道が右に分かれます。それを500mほど進むと集落があり、そこから西へ伸びる道路に折れるとすぐに、2本の川を橋で渡ります。目の前には送電塔が立ち並ぶ小山が南北に伸びており、5万の地図には、その小山の尾根に沿って小径が描かれているので、上がってみることにしました。

まだ残雪が覆うこの時期、ざくざく雪ながらも、そう足が深く埋まるほどではありませんが、時折抜けてしまうので、四つん這いで尾根まで這い上がり、それから線路の見える場所を求めて送電線の下を南へ進みました。

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06:50 陣場←白沢 625列車

大館発、青森行きです。線路より一段高いところが国道7号線です。

 

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07:17 陣場→白沢 たざわ6号

なかなかいい場所が見つけられないまま、ずんずん進むうちに、上下線が合流する場所へ出ました。L特急「たざわ」は、田沢湖線経由で青森と盛岡を結びます。両駅間の所要時間は「はつかり」なら2時間半ですが、「たざわ」だと4時間40分ほど要します。

 

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07:32 陣場←白沢 日本海1号

ご覧の通り、送電線の下を歩いて来ましたが、線路側に生える樹木が視界を遮り、見通しの利く場所はほとんどありませんでした。おまけに風は強いし、やんなっちゃう。

 

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07:39 陣場→白沢 快速「八幡平」

更に進んで下り線のトンネルの上付近です。樹木の隙から狙うのがやっと。上り線の向こうには、お立ち台であるNTTの建物が見えますが、当時はそこが有名撮影地などとは知りませんでした。

 

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08:00 陣場←白沢 あけぼの1号

トンネルを越えて、何とか見通せる場所を確保。

 

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08:24 白沢→陣場 629列車

陽が差してきたし、国道側に移動しました。どうやって川を渡ったのかは覚えていません(笑)。ただメモには「小さな川を飛び越えた」という記述があります。それがどこの場所なのかまでは記されていませんけど。

 

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08:43 640D

五所川原発の921Dが、弘前から640Dとなって大館へ向かいます。この辺り、下り線はトンネルの中を走っています。

上り線からこの場所へ這い上がり、その後は国道に出たのでしょう、白沢へ向けて更に南下します。

 

昭和62(1987)年3月8日

 

この14年後に訪れた時のビデオ映像です。

www.youtube.com

陣場へ

陣場といえば、かつて奥羽本線の蒸機撮影の名所、くらいの印象しかなく、地図を見ながら、名所であった津軽湯の沢方面ではなく、白沢方面へ足を向けていました。

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05:00頃 大館駅 1620D

上り一番列車である、05:13発の東能代行き。因みに能代駅は東能代駅のお隣、五能線を出て最初の駅です。

 

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623列車 EF81 146牽引

こちらは下りの一番列車、05:48発の青森行きです。写真のオハフ50 2345に乗車して、二つ目の陣場駅で下車します。

 

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06:06 陣場駅 623列車

陣場駅に到着。駅名標入れて見送ります。ホームの除雪はいまいちです。

 

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陣場

昭和45(1970)年11月、津軽湯の沢陣場間の複線化によりルートが大きく変更となり、両駅とも移設されました。旧陣場駅は現駅のすぐ西側にあったようで(つまりこの写真を撮影している場所辺り)、その駅跡の一部は今でも残されているとか。駅に限らず、国道7号線津軽湯の沢へ向けて北上すると、随所に旧線の遺構を確認できます。

などという歴史を当時は全く知らずにいて、それだけに開けた撮影地がありそうな白沢方面を選んだのは、ごく普通の感覚だったと言えるでしょう。

 

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06:20 陣場駅→白沢 1432列車(弘前発、秋田行き) ED75 751

国道7号線の陸橋から陣場駅を望みます。中線は雪に埋もれており、滅多に使用することはなさそうです。

 

さあ、これから白沢駅へ向けて撮影を開始です。

 

昭和62(1987)年3月8日

兄畑から湯瀬へ

田山での撮影を終えて兄畑へ移動します。

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14:39 田山駅 1937D

兄畑は隣の駅ですが、駅間が6.7kmあり、歩くには時間的に余裕がありません(体力には自信有、ただし、当時)。湯瀬まで行かねばならなかったからです。

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14:48 兄畑駅 1937D

当時は3両を組むほどの利用客があったんですね。

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兄畑駅

次の列車まであまり時間がなく、米代川を渡るシーンを撮ろうと、一旦、田山方面に戻ります。

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15:08 田山←兄畑 1942D

素直に線路に平行する道路橋から撮ればよかったものを、わざわざ急斜面にへばりついて撮りました。抜ける場所を探しているうちに時間切れとなった次第。ああ。

次の列車までは1時間近くあるので、国道282号線を湯瀬方面へ歩きます。駅間は4.1kmなので、余裕です。ところが1kmも歩かないうちに、東北自動車道の奥に伐採地でしょうか、白い斜面が見えました。お手軽な俯瞰撮影ができそうです。国道と東北自動車道との間には米代川が横たわり、行く手を阻んでいるのですが、ストリートビューを見ると小さな吊り橋が架かっており、おそらくこれを渡ったのでしょうね。全然記憶にありませんけど。

 

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16:03~04 湯瀬→兄畑 1944D

東北自動車道の下をくぐるとすぐに斜面ですが、雪に覆われた斜面はそこそこ急で、しかも固くなっていて滑りやすいので、余計な荷物は下に置き、ショートズームを装着したカメラ1台だけを持って上がりました。そこは期待通りに見通しが良く、つい30コマもシャッターを切ってしまいましたよ。撮影後は斜面を滑り降りて、わずか10数秒で戻りました。

 

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17:04 湯瀬←兄畑 1943D

列車の向こう側に架かる赤い橋が国道282号線。背後には東北自動車道の橋梁があります。全く記憶になし。

 

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17:45 湯瀬→兄畑 1946D

その次に架かる橋のたもとで。もうすっかり暗くなり、後撃ちではフラッシュを発光させてみました。これはちょっとは覚えています。

 

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湯瀬駅

現在は「湯瀬温泉駅」と改称していますが、駅舎は今でもこの当時のままのようです。18:41発の快速「八幡平」に乗車します。この列車は兄畑駅を通過するので、湯瀬駅まで来るしかなかったのです。

 

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19:00 陸中花輪駅 3945D(快速「八幡平」)・948D

陸中花輪駅では荒屋新町行きの948Dと行き違います。陸中花輪駅花輪線の由来だけに「花輪駅」でいいと思うのですが、今は「鹿角花輪駅」に改称されています。

漫画「ちびまる子ちゃん」の花輪君は、漫画家花輪和一氏の名前をもじったものだと思いますが(丸尾君は同じく丸尾末広氏からのものと推測)、苗字の美しさとは裏腹に、花輪和一氏はおどろおどろしい内容の作品を描く、前科一犯のおっさんです。銃刀法違反でね。でも、作品のオリジナル性は非常に高く、その芸術性は先の愛知トリエンナールに出品された、一部の低俗かつ下劣にして愚弄な作品など足元にも及びません。刑務所での生活を描いた「刑務所の中」では、その様子が微に入り細に入り描かれており、その記憶力には驚くばかりです。また鉄道への興味も少なくない様で、「C62ニセコ号」を舞台にした短編では、精密な描写で車両を描いています。

 

この日は大館に宿泊し、翌日の奥羽本線の撮影に備えました。

 

昭和62(1987)年3月7日

田山で

花輪線といえば龍ヶ森が真っ先に思い浮かびますが、8620亡き後、そこにこだわる必要もなかろうと、5万の地図とにらめっこ。すると、田山にスキー場があって、花輪線を俯瞰するには好都合の場所のようです。

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08:49 田山駅 1927D

乗車してきた列車を見送ります。

駅を出てスキー場へ向かいます。駅を降りてスキー場へ行くって、何十年ぶりのことでしょう。小学生の頃、万字線の志文駅近くのスキー場へ行った記憶がぼんやり残っていますし、倶知安駅の裏にあるスキー場にも行きました。その時の帰りの列車が9600牽引だったことが不思議と印象深く残っています。

山スキー場には期待した通りリフトがあり、スキー客ではありませんがちゃっかり利用させてもらいました。まさか、ゲレンデを足跡で汚すわけにもいきませんし。

頂上に着くと、そこから更に上へ上がります。

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ここへはほとんど誰も来ません。が、たまにやってくるスキーヤーに怪訝な顔をされます。

 

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10:32~33 田山←横間 1929D

キハ58系2両編成がちっちゃく写っているのですが、お判りでしょうか。こんな写真に当時は面白がって満足していました。どこぞのプロに言わせれば「鉛筆ころがし」っちゅうヤツです。全くの自己満足の世界ですが、もともと趣味とはそういうものですしね。

 

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11:04 兄畑→田山 1932D

何を写しているんだか、分かりにくいこと甚だしいです。とはいえ、よく列車の姿を捉えられたものだと、そこが気になりました。

 

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11:10 田山→横間 1932D

雪が降って来たので、1929Dよりもズームを利かせて寄ってみました。先頭(右側)の車両には白帯が入っています。

 

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12:23 田山←横間 1937D

塗色が変わっています。白に赤帯です。

 

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12:24 田山駅 1937D

田山の駅には、これから20年以上も経ってから再訪します。用事があって盛岡へ行った3月の初め、その帰りに東北自動車道で八戸へ向かう途中、吹雪のために一部区間が閉鎖され松尾八幡平ICで下ろされてしまいました。すでに夜を迎え周囲は闇の中、道は不案内な上に吹雪きで道路標識もろくに見えない状況、とりあえず前の車の後を付いて行くことにしました。幸いにも国道282号線に出たので、あとは県道6号線に分岐する箇所に青い看板があるはずだからそれを見逃さない様にと思いながら運転します。吹雪の勢いは収まることもなく、車列が伸びて、どの車もハザードランプを点滅させながらのノロノロ運転です。もうどれだけ走ったのかは分かりませんが、どうにも時間がかかり過ぎているようです。もしかすると案内板を見落としたのかもしれません。そのうち、前の車が徐々に少なくなり心細くなった頃、右手に駅舎が見え、そこを過ぎてから「兄畑」と書かれた看板が目に入りました。あ、やっちまった。北へ向かう積りが西へ向かっていました。案内板を見落としてしまったのです。慌てて引き返し、先ほど見えた駅前に車を止めました。田山駅でした。その晩、八戸からフェリーに乗る予定でしたが、これからでは到底間に合いません。電話で翌朝の便に変えてもらいます。一方、両親を乗せているので車中泊というわけにもいかず、どこか泊まれる場所を探さねばなりません。盛岡の従弟に電話して、近くのホテルを教えてもらい難を脱しましたが、もし田山や兄畑へ撮影に来ることがなければ、この時、どこをどう走っているかも分からないまま、夜通し走り回っていたかもしれません。鉄道撮影が後にどう役に立つか、分からないものです。駅舎は変わっていましたが、懐かしい田山駅を後にしてホテルへ向かったのでした。

 

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12:56 兄畑→田山 1936D

俯瞰撮影の醍醐味を存分に味わい、駅へ戻ることにします。帰りもリフトを利用しますが、降りる方は無料で乗ることができました。ただ、学校のスキー学習なのか、リフトで昇って来る中学生くらいの生徒と次々にすれ違い、ほぼ全員が「こんにちは!」と元気よく挨拶をしてくれるので、こちらもその度に挨拶を返すのは少々くたびれました。リフトで降りるというバツの悪さもありましたしね。ほら、スノトレでしょ、スキーじゃなくて三脚持っているでしょ、スキーをしに来たんじゃないんだよ、などと心の中で言い訳する自分が滑稽でした。

 

昭和62(1987)年3月7日

花輪線へ向けて

只見線磐越西線の撮影から一週間後、今度は花輪線へ行くことにしました。未踏の地です。かつては8620形式が3台運転で貨物列車を牽引し、SLファンを大いに魅了したものです。しかしすでに貨物列車も無く、鄙びた、いちローカル線となっておりました。

いつも通り、旅の始まりは上野駅です。

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21:01発 上野駅 能登

勾配用のEF62が牽引します。途中、碓氷峠ではEF63が助太刀致す。金沢行きの夜行急行列車で、これがJR化後、489系電車に代わることになろうとは誰が予想したでしょう。

 

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21:18発 ひたち46号(回送列車)・八甲田

東北本線経由で青森行きの急行「八甲田」。オハフ14 39に乗車して盛岡まで乗車します。すでに旧客は消え、夜行急行列車には14系が進出し、快適な夜を提供していました。

 

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06:10発 盛岡駅 527列車

盛岡で急行「八甲田」を下車。未明の05:45ながら駅は活気づいており、八戸行きの527列車が発車待ちをしております。客車は12系2000番代です。旧客を置き換えるために、余剰となっていた12系客車が改造の上に充てられたものです。

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機関車の次位がオハフ13 2001。元オハフ13 66。2000番代は東北本線奥羽本線用の普通列車用に改造された車両で、交流電気機関車からサービス電源を供給されるようになっています。

 

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06:13発 825D

田沢湖線赤渕行きです。白帯を巻いているのはラインカラ―のはしりでしょうか。

 

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3073列車 ED75 1015+ED75 1030

東北本線の貨物列車にはED75重連牽引が少なからずありました。電化前には十三本木峠が立ちはだかる御堂~奥中山間で撮影された、蒸機三重連列車の姿に、当時を生で知ることのなかった私の心を今でも熱くします。友人が持っている写真集「雨の奥中山」を見せてもらっては溜息を着いてしまいます。

 

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昭和59(1984)年に登場した三陸鉄道乗り入れ用のアコモ改造車で、北リアス線(久慈~宮古)用が「うみねこ」でキハ58 416、486、1511の3両が、南リアス線(釜石~盛)用が「むろね」でキハ28 336、390の2両がありました。写真は「うみねこ」の車両。「JNR」マークが泣かせます。転換クロスシートは、0系新幹線からの流用品です。

 

盛岡駅のホームで1時間以上も撮影を楽しんでから、いよいよ大館行きの1927Dに乗り込みました。

 

昭和62(1987)年3月6~7日

関都でござる

【今回は、用事があるので寝る前にアップしときます。】

さて、荻野から乗車して関都で下車しました。きっと、磐梯山を入れて撮ろうと考えていたのでしょう。

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関都駅

駅から郡山方面へ向かいます。

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13:56 (臨)猪苗代湖畔→関都 快速「ばんだい」(3235M)

喜多方行きです。

白くなった455系。常磐線415系に次いで、とうとうこの路線も毒されてきたかと、正直思いました。九州の713系みたい塗色は良しとしても、先頭車前面の塗り分けがイヤだ。

 

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14:28 (臨)猪苗代湖畔←関都 快速「ばんだい」(3238M)

いささか霞んでいますが、一応、磐梯山が入りました。そして振り向けば臨時駅の猪苗代湖畔駅。

会津若松発のこちらはちゃんと交直流色のまま。いつまで保持できるやら。列車の陰に駅のホームがあります。

 

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14:49 (臨)猪苗代湖畔駅 スキートレイン猪苗代

前々夜、上野駅で見たスキー列車です。

 

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14:54 (臨)猪苗代湖畔駅 2231M

急行形の455系ですが、普通運用にバンバン投入されています。駅のホームから。ここまで来たら、もうトンネルの上に上がらねば気が済みません。

 

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15:23 上戸←(臨)猪苗代湖畔 2230M

上がっちゃいました。この3年後には、「SL磐梯会津路号」を撮るために、このまま頂上まで上がることになります。で、撮影は失敗します。orz

 

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15:39 関都←(臨)猪苗代湖畔 快速「ばんだい」

色々な場所で撮りたいので戻ってきました。踏切の近くです。トンネルの上辺りから山頂に向けて白い一筋が見えます。3年後にもそれが残っていて、つい登ってしまう訳です。電線用の管理道だと思います。上まで上がると、上戸駅が見えます。

 

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16:04 (臨)猪苗代湖畔→関都 快速「ばんだい」(3239M)

 

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16:05 (臨)猪苗代湖畔←関都 快速「ばんだい」(3240M)

何とも撮りようがなくて、雲の方に気を取られてしまいました。

 

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17:00 猪苗代←川桁 1235列車

関都を過ぎて川桁も過ぎてしまいます。珍しく、ごく普通に。

川桁といえば沼尻鉄道。とはいえ廃線跡を探訪する余裕はありません。

 

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17:29 猪苗代→川桁 上り貨物列車

荷無しの貨物列車。ダイヤがないので、貨物列車のスジは全く分かりません。

 

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17:42 猪苗代→川桁 1230列車

ようやく、磐梯山をバックにそれらしい写真になりましたが、すでに日没を迎えてしまいました。

 

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17:49 猪苗代←川桁 あいづ

もう強引に。

 

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18:22 川桁駅 快速「ばんだい」(3242M)

この駅で待つ間、寒くて震えていました。「ばんだい」は無情にも通過します。磐梯山のスキー場が照明に照らされていますが、フレアの方がでかくて目立ちます。

 

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19:11 川桁駅 2237列車(1232列車の前照灯のあかり)

ようやく帰りの列車が到着しました。その灯に照らされて、行き違いの2237列車が闇夜に浮かびます。この後、どの列車で帰宅したのかは、メモを取っていないので分かりません。でも、マジで寒かったんすよ。

 

昭和62(1987)年3月1日