花輪線といえば龍ヶ森が真っ先に思い浮かびますが、8620亡き後、そこにこだわる必要もなかろうと、5万の地図とにらめっこ。すると、田山にスキー場があって、花輪線を俯瞰するには好都合の場所のようです。
08:49 田山駅 1927D
乗車してきた列車を見送ります。
駅を出てスキー場へ向かいます。駅を降りてスキー場へ行くって、何十年ぶりのことでしょう。小学生の頃、万字線の志文駅近くのスキー場へ行った記憶がぼんやり残っていますし、倶知安駅の裏にあるスキー場にも行きました。その時の帰りの列車が9600牽引だったことが不思議と印象深く残っています。
田山スキー場には期待した通りリフトがあり、スキー客ではありませんがちゃっかり利用させてもらいました。まさか、ゲレンデを足跡で汚すわけにもいきませんし。
頂上に着くと、そこから更に上へ上がります。
ここへはほとんど誰も来ません。が、たまにやってくるスキーヤーに怪訝な顔をされます。
10:32~33 田山←横間 1929D
キハ58系2両編成がちっちゃく写っているのですが、お判りでしょうか。こんな写真に当時は面白がって満足していました。どこぞのプロに言わせれば「鉛筆ころがし」っちゅうヤツです。全くの自己満足の世界ですが、もともと趣味とはそういうものですしね。
11:04 兄畑→田山 1932D
何を写しているんだか、分かりにくいこと甚だしいです。とはいえ、よく列車の姿を捉えられたものだと、そこが気になりました。
11:10 田山→横間 1932D
雪が降って来たので、1929Dよりもズームを利かせて寄ってみました。先頭(右側)の車両には白帯が入っています。
12:23 田山←横間 1937D
塗色が変わっています。白に赤帯です。
12:24 田山駅 1937D
田山の駅には、これから20年以上も経ってから再訪します。用事があって盛岡へ行った3月の初め、その帰りに東北自動車道で八戸へ向かう途中、吹雪のために一部区間が閉鎖され松尾八幡平ICで下ろされてしまいました。すでに夜を迎え周囲は闇の中、道は不案内な上に吹雪きで道路標識もろくに見えない状況、とりあえず前の車の後を付いて行くことにしました。幸いにも国道282号線に出たので、あとは県道6号線に分岐する箇所に青い看板があるはずだからそれを見逃さない様にと思いながら運転します。吹雪の勢いは収まることもなく、車列が伸びて、どの車もハザードランプを点滅させながらのノロノロ運転です。もうどれだけ走ったのかは分かりませんが、どうにも時間がかかり過ぎているようです。もしかすると案内板を見落としたのかもしれません。そのうち、前の車が徐々に少なくなり心細くなった頃、右手に駅舎が見え、そこを過ぎてから「兄畑」と書かれた看板が目に入りました。あ、やっちまった。北へ向かう積りが西へ向かっていました。案内板を見落としてしまったのです。慌てて引き返し、先ほど見えた駅前に車を止めました。田山駅でした。その晩、八戸からフェリーに乗る予定でしたが、これからでは到底間に合いません。電話で翌朝の便に変えてもらいます。一方、両親を乗せているので車中泊というわけにもいかず、どこか泊まれる場所を探さねばなりません。盛岡の従弟に電話して、近くのホテルを教えてもらい難を脱しましたが、もし田山や兄畑へ撮影に来ることがなければ、この時、どこをどう走っているかも分からないまま、夜通し走り回っていたかもしれません。鉄道撮影が後にどう役に立つか、分からないものです。駅舎は変わっていましたが、懐かしい田山駅を後にしてホテルへ向かったのでした。
12:56 兄畑→田山 1936D
俯瞰撮影の醍醐味を存分に味わい、駅へ戻ることにします。帰りもリフトを利用しますが、降りる方は無料で乗ることができました。ただ、学校のスキー学習なのか、リフトで昇って来る中学生くらいの生徒と次々にすれ違い、ほぼ全員が「こんにちは!」と元気よく挨拶をしてくれるので、こちらもその度に挨拶を返すのは少々くたびれました。リフトで降りるというバツの悪さもありましたしね。ほら、スノトレでしょ、スキーじゃなくて三脚持っているでしょ、スキーをしに来たんじゃないんだよ、などと心の中で言い訳する自分が滑稽でした。
昭和62(1987)年3月7日