ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C56 127とC56 135とC56 153

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年10月 浜田機関区

車歴は↓こちら。

C56127 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

除煙板には点検口はありませんが、フックを引っ掛ける孔もありません。

多くの形式では空気圧縮機は公式側(機関士側)に設置されていますが、C56では非公式側(機関助士側)に搭載されています。小型の単式なのですが、一部の機関車では複式に交換されています。

斜め前横の構図は形式写真の基本のようですが、形式写真と呼ぶにはそれなりの条件があるようで、まず窓は全部閉まっていること。個人的には部分的に空いていた方が開閉の両状態が分かっていいと思うのですがね。そして影が強くならない程度で足回りがしっかり表現される薄曇りであること。そして蒸機の場合には連結棒が下の位置にあること、なんだそうです。ほかは後ろに電柱が立っている場合には煙突の位置に持ってこないとか(人間の場合でも頭から電柱がニョキッと飛び出るようなアングルはNGです)煙が車体にまとわりついていないとか、手前に余計なものがごちゃごちゃ写っていないとか、あ~面倒臭い。私には性格的に無理です。

 

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昭和43(1968)年10月 浜田機関区

 

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昭和47(1972)年3月 宮崎機関区

車歴は↓こちら。

C56135 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

前端梁には必要以上にボルト孔が開いています。機銃掃射でもされたんかいな。でも何か穏やかな表情です。他の車輛よりも表情豊かに見えるのは、やはり煙や蒸気があるからなのでしょうかね。

浜田区時代には無かった「架線注意」札が、宮崎区時代にはランボードスロープに貼られています。蒸気溜めと砂箱の間にあるコの字形の手摺は、宮崎に来てから取り付けられたのでしょうか。前端梁にあった沢山のボルト孔が消えているのは、レタッチミス?

 

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昭和43(1968)年6月10日 七尾機関区

車歴は↓こちら。

C56153 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

形式入りナンバープレートは正面だけでしょうか。

キャブ側面の札差し2カ所は、多くの機関車が上下に並んでいるのに、この機関車は水平に並んでいます。実害はないのでしょうけど。

C55では砂箱と蒸気溜めとをひとつのドームに収めたのにもかかわらず、その後に登場したC56はC12のデザインをまんま踏襲したため、再びふたコブに先祖帰りしてしまいました。もし一体ドームになっていたとしたら、雰囲気も随分と変わっていたでしょうね。

 

 

昨日、アマゾンで注文した「デジタル8」のビデオカメラが届きました。亡き鉄友からお預かりした8mmビデオをファイル化するためです。以前、自分の8mmビデオをファイル化した時に使用したのと同じ型番のものだっただけに、なんで処分しちまったんだ~?という後悔の念がなきにしもあらずです。それはともかく、早速荷をほどいてカメラをPCにつなぎ(i-Linkが使えるのがこのカメラの最大のメリット)、まずは自分のテープを再生してみました。万が一カメラの調子が悪くて、鉄友のテープを傷めようものなら大後悔ですからね。期待に胸を膨らませて画面に映像が出るのを待ちました。しかし、画面は映像信号が無い状態を示す灰色のまま。カメラはちゃんと回っています。カメラの液晶画面も真っ青のままです。こちらの気持ちまでブルーシャトー。

「もしかしてテープの映像、消しちゃった?」と思わなくもなかったので他のテープに入れ替えましたが同様に灰色とブルーのまま。

そこで、何故か商品のカメラの中に入れっぱなしのままとなっていたテープを再生してみましたが、これもダメ。(テスト用だったのかな?)

ならば、そのカメラで撮影したものはどうか。人からもらった未開封のテープを入れて撮影し、再生させましたがやはりダメ。結局、不良品としか考えられません。へこむな~。

諦めてショップに「不良品につき返品希望」のメールを送ると数時間も経たずに「返品処理をして下さい」との通知が届きました。

かつて、注文した本と別なものが送られてきた時には「注文いただいた商品は在庫がないので、商品代金は返金します。お届けした商品は返品しなくて結構です」という対応でした。その間違って届いた本はアマゾンで5000円で出品されていたものでしたので、ちょっとだけ儲けた気分になりましたが、特に読みたいものではなかったので、ありがたい気持ちはすぐに消えました。

でも流石に3万円近くするビデオカメラはそういう訳にもいかないのでしょう。もっとも、返品しないで手元にあってもテープを再生できないのではただのゴミでしかありませんので、狭い部屋には迷惑なだけです。

というわけで、またヤフオクやアマゾンでデジタル8のビデオカメラを探索せねばなりません。

C56 125

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月1日 糸魚川機関区

 

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昭和43(1968)年5月31日 松任工場

 

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昭和43(1968)年6月1日 松任工場

車歴は↓こちら。

C56125 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

一見して除煙板の湾曲した上部ステーに目が行きます。作業員がランボードを歩くための配慮にも思えますが、ツララ切りのようです。同じ糸魚川区の115号機はえろうごっついステーでしたが、それもまたツララ切りということで。

ツララ切りといえば、115号機と同様に125号機にもまた、炭水車には背の高い手摺が付いています。1枚目、2枚目にチロッと写っているのですが、どうやらこれもツララ切りなのだそうです。でもそれにしては高さ不足のような気がします。炭庫上端にも届いていません。それでキャブ側にも背の高いツララ切りを設けたのでしょうか。

3枚目のキャブの写真には、雨水の排水管と平行して何やらぼっこがぶら下がっています。運転時における乗務員の落下防止棒なのでしょうか。その上に付いている輪っか状の物も気になります。

この機関車は大糸線で活躍しましたが、小海線にも出張して数多くの写真に記録されています。

C56 123

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月2日 七尾機関区

車歴は↓こちら。

C56123 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

C56といえば「高原のポニー」などという愛称を頂戴してトコトコ走っていた小海線が圧倒的に有名ですが、一方、七尾線はというと列車そのものよりも春の能登鹿島駅に乱れ咲く、桜並木との組み合わせが印象的でした。リアルで見たことはありませんが。C56が誕生した昭和10(1935)年に七尾線小海線が全通したというのも何かの因縁なのでしょうか。山の中を走っているのに「小海」という名称は何か変ですけど、その由来は小海町のホームページに紹介されています。

JRになってから160号機がC57 1と重連を組んで「SLときめき号」を牽引したことを懐かしく思い出します。

 

形式入りナンバープレートは、兄弟機の124号機も同様でした。123号機の方は、映画出演に合わせて形式入りに取り替えられたという説もありますが、実際はどうなんでしょう。その映画の中では踏切事故に遭遇するシーンがあるのですが、その数年後には本当に踏切事故に遭って廃車となってしまいました。事故損傷部は修復した後に七尾市で静態保存されましたが、結局は解体。現在は第二動輪のみ保存展示されています。

除煙板の点検口は蓋付き。

タブレットキャッチャー炭水車に取り付けられています。キャブ側面に取り付けるスペースが全然ないからでしょう。D51 22、23号機のスーパーナメクジみたいに、ランボードにナンバープレートを取り付けてキャブ側面のスペースを作るのもありかも。因みに、正面のナンバーは赤いです。

炭水車後部のステップは踏板が何とも広いですね。

C56 115

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月2日 糸魚川機関区

車歴は↓こちら。

C56115 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

回転火の粉止め、シールドビーム、除煙板の小さめの点検口・・・はともかく、除煙板の上部ステーがえろうごっつうおま。何か、他の機関車でも見たことがありますが機番とかは忘れました。つらら切り?いやいや入換機だし。

ちょっと分かり辛いですが、炭水車にはキャブ面・背面とも手摺が増設されています。他のサイトの画像を見ると、C56の炭水車ならでは切り欠きスロープに上がるのを阻止するかのように、この手摺は設けられています。ならば、後方側面にステップが一か所あるのは何ででしょう。このステップはホチキス針のようなコの字型ですが、機関車によっては踏板だったり、あるいは1カ所ではなく2カ所のモノ、そしてなんも無いものもいます。それぞれの現場で使い勝手を良くするために改造を施した結果、同じ形式であっても様々に異なったディテールを見せる蒸気機関車はホント面白いですが、ストイックなファンにしてみれば外観的改悪にしか見えないのでしょうね。

 

とある鉄道仲間が亡くなってから丸一年。エンディングノートに記されていたとして、ご遺族から撮影済のビデオテープを大量に譲り受けました。8mmビデオ、DV、HDVと3種類あって、その量は全部で200本程。DVとHDVは、ちょうどデッキを買い揃えていたので問題ありませんが、8mmの方は数年前にキャプチャを終えた時点で、ビデオカメラ(再生機として利用していました)とデッキ、全5台以上を全て処分してしまい、再生環境を失っておりました。でもさあ、1990年代前半の撮影だもの、キハ80系終焉の頃も写っているようなんだもの、C62も写っているんだもの。映像を救ってあげないとバチが当たるというものです。で、ゆうべヤフオクとかアマゾンとかを漁っていたら、見覚えのある型番のビデオカメラがあったので、「これぞ!」と思って、安かったアマゾンの方をポチってしまいました。付属品も一式揃っているし。DCR-TRV300Kというデジタル8規格のカメラなのですが、8mmビデオの再生にも対応していて、iLINKで出力してくれるのがありがたい。そしてこのカメラは、SONY製MEテープを良好に再生してくれるのが最大のポイント。

SONY製MEテープ(それも高価格帯のもの)の再生不良があれだけあったのにもかかわらず、ネット上ではあまり話題になっていないのはどうした訳でしょう。ワースト10のテープをSONYに送ったら、ちゃんとHi8のテープにコピーして送り返してくれたけれど、「当方では異常が確認できませんでした」と添えられていた一文にちょっとカチンときました。だって、そのコピーテープの中にも箇所は少ないものの再生不良があったんだもの。

作業が終わったと思って処分した機材の数々。しかし、その後、また改めて買い揃える羽目になろうとは、つくづく未来を見通す目の無さにガッカリしています。

他にTVを録画したVHSのテープもあって、こちらはまだデッキを残しているので大丈夫でしょう。因みにベータマックスは持っていません。

C56 106とC56 108

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年10月 浜田機関区

車歴は↓こちら。

C56106 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

特にこれといった個性的特徴は見当たりません。SG管が前端梁まで伸びているくらいでしょうか。レンガ造りの車庫がなかなか素敵です。

 

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昭和43(1968)年3月31日 松江駅と思われます

 

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昭和47(1972)年8月27日 浜田機関区

 

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昭和48(1973)年10月14日 浜田機関区

車歴は↓こちら。

C56108 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

そんなに大きな駅にも見えませんし、どこの駅なのか確定できません。

H.O様のコメントから、地上駅時代の松江駅と判断させていただきました。民家が隣接し、林みたいな樹木もあって、そんなに大きな駅には思えませんでした。

回転火の粉止めを載せておらず、すっきりした外観に見えます。

 

C56はC12のテンダ版なので両者では随所に酷似した箇所があるのですが、キャブ前面が異なっており、C56ではC55で採用された前窓付近に後退角を持たせた構造となっています。C51や8620といった古い機関車の中にも、そんなC55タイプのキャブに交換した機関車がありました。手間暇かけてでも、C55タイプに改造した方が良かったのでしょうか。しかし、C61、C62といった大型ハドソンでは採用していないのはどうした訳でしょう。どちらも貨物機出身だらかなのでしょうか。

 

C55で散々話題にしてきた門デフですが、C56では装着機は1輌もありません。C12でも保存展示時に取り替えられたのが1輌(241号機)あるだけです。

C56 96とC56 98

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年6月2日 上諏訪機関区・上諏訪駅

車歴は↓こちら。

C5696 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

メモには糸魚川とあるのですが、区名札が「諏」となっているので上諏訪機関区・上諏訪駅と判断しました。延長されたキャブ屋根や旋回窓は、雪国を走る機関車仕様といえるでしょう。流石に密閉キャブとはなっていませんが。前端梁にはスノウプラウの取り付けボルト孔があります。フロントに後部標識灯はありません。

回転火の粉止めで、煙突が長く見えます。

除煙板前端の手摺は後年取り付けられたもので、入換に配慮したものでしょうか。

小海線で活躍後、長野運転所に出戻り飯山線に再登板。

 

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昭和43(1968)年10月 浜田機関区

 

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昭和47(1972)年8月27日 浜田機関区

 

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昭和48(1973)年10月14日 浜田機関区

車歴は↓こちら。

C5698 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

こちらには旋回窓も除煙板付けの手摺もないオリジナルな姿。三江線の運用に就いていたと思われます。客車列車のバック運転に備えてか、蒸気吐出口がエアブレーキ管の下に見えます。

今更ですが、C56はバック運転がしやすいように炭水車の両側は斜めに切り欠いてキャブからの見通しを良くしています。これがC56の特長としてどんな書籍にも当然のように明記されています。しかし実際にはバック運転をすることはあまりなかったようです。183系や485系電車の先頭車貫通扉の様に、設計思想と実態とにはズレがあったようです。とはいえ、他形式の入換機関車の中にはC56と同様の切り欠き炭水車に改造したものが少なくありませんので、設計思想は間違っていなかったということでしょうし、C56とて入換に従事していましたので、決して無駄ではなかったと。木次線のようにスイッチバックがある路線などは、C56にとって恰好の活躍の場であったと云えるでしょうか。

C56 92

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月 宮崎機関区

メモには宮崎機関区とあるのですが、車歴表によればこの当時は吉松機関区の所属でした。この特徴的な給水・給炭場から、行ったことのある人ならばここがどこの機関区なのかお分かりになるかもしれません。下の宮崎機関区時代の画像にも似たような「高架部」が写っているので、やっぱり宮崎区かな~。

 

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昭和46(1971)年2月17日 宮崎機関区

 

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昭和47(1972)年3月 宮崎駅

お召仕様に磨かれ装飾されたスタイル。

車歴は↓こちら。

C5692 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

C56はC12をテンダー化した機関車で、比較的長距離の簡易線向けに製造されました。戦前には我が北海道にも多数新製配置されましたが(それだけ簡易線が多かったということです)、1~90号機が軍供出によりタイやビルマへ「出兵」し、そのうち34輌が北海道に配置されたものでした。静内機関区には1~5号機を筆頭とする9輌が配置されており、苗穂区8輌、帯広区4輌、木古内区3輌、標茶区3輌、岩見沢区2輌、長万部区2輌、深川区2輌、厚床区1輌という内訳でした。(昭和16年9月30日現在、「蒸気機関車 1981年1月号43ページより。)

国内に残ったトップナンバーは91号機となり、僚機92号機とともに吉松機関区で長年活躍してきました。その両機にとって最大の栄誉と云えるのは、昭和47(1972)年の鹿児島県国体で運転されたお召列車の牽引でしょう。91号機、92号機が重連を組んで、加治木~鹿児島、指宿~西鹿児島区間を走りました。先頭に立つ91号機の形式入り赤いナンバープレートが印象的でした。

 

3年の間に、92号機には「架線注意」札が取り付けられました。ランボードスロープに貼り付けるというのはあまり見ないです。