ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C56 92

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20210330070402j:plain

昭和43(1968)年3月 宮崎機関区

メモには宮崎機関区とあるのですが、車歴表によればこの当時は吉松機関区の所属でした。この特徴的な給水・給炭場から、行ったことのある人ならばここがどこの機関区なのかお分かりになるかもしれません。下の宮崎機関区時代の画像にも似たような「高架部」が写っているので、やっぱり宮崎区かな~。

 

f:id:railway-photo:20210330070437j:plain

f:id:railway-photo:20210330070448j:plain

昭和46(1971)年2月17日 宮崎機関区

 

f:id:railway-photo:20211101201218j:plain

f:id:railway-photo:20211101201250j:plain

昭和47(1972)年3月 宮崎駅

お召仕様に磨かれ装飾されたスタイル。

車歴は↓こちら。

C5692 機関車データベース (形式C56) - デゴイチよく走る!

C56はC12をテンダー化した機関車で、比較的長距離の簡易線向けに製造されました。戦前には我が北海道にも多数新製配置されましたが(それだけ簡易線が多かったということです)、1~90号機が軍供出によりタイやビルマへ「出兵」し、そのうち34輌が北海道に配置されたものでした。静内機関区には1~5号機を筆頭とする9輌が配置されており、苗穂区8輌、帯広区4輌、木古内区3輌、標茶区3輌、岩見沢区2輌、長万部区2輌、深川区2輌、厚床区1輌という内訳でした。(昭和16年9月30日現在、「蒸気機関車 1981年1月号43ページより。)

国内に残ったトップナンバーは91号機となり、僚機92号機とともに吉松機関区で長年活躍してきました。その両機にとって最大の栄誉と云えるのは、昭和47(1972)年の鹿児島県国体で運転されたお召列車の牽引でしょう。91号機、92号機が重連を組んで、加治木~鹿児島、指宿~西鹿児島区間を走りました。先頭に立つ91号機の形式入り赤いナンバープレートが印象的でした。

 

3年の間に、92号機には「架線注意」札が取り付けられました。ランボードスロープに貼り付けるというのはあまり見ないです。