ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

札沼線で

今回の記事は珍しく本日の写真・・・つうか画像です。

今、ある作品のビデオ編集をしているところなのですが、どうしても必要な映像があったので、それを撮影してきたところなのです。概ね天気に恵まれて、逆光も已む無し。腕が真っ赤に焼けました。

 

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札的駅

何年も前に、友人がこの駅のホームで写真撮影をしようとしたら、運転士にダメ出しされて、で、ホームから降りて撮ろうとしたら、そこでもダメ出しされて結局、ナンモ撮れなかったとボヤいていました。SL列車が走るようになったあたりから、JR北海道の運転士は気難しく振舞うようになったと感じます。私も「植苗」「池田」「大沼」「月ヶ岡」の各駅近くの踏切で撮影していて、思いっきり悪意満々の警笛を食らったことがあるし。で、今日は最後の仕上げに北海道医療大学駅近くで撮影していたら、たまたま保線の人が車で通りかかって、「あんまり線路に近づかないでね」と注意されてしまいました。「はい、分かりました。注意します。」と答えたものの、危険な撮影をしているように見られたのがちょっと悔しい。

 

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晩生内駅

駅前にあった人家が跡形もなく消えて、その代わりに太陽光パネルが何枚も並んでいました。キハ53が走っていた頃は、切符売りのおじいちゃんが、いつも列車を見送っていましたっけ。

もう10年以上も前のことになりますが、DMVの走行試験では、石狩月形駅からこの駅まで線路を走り、ここで線路から降りていましたが、その降りた場所はもう草ボーボーで、虫たちの遊び場となっていました。

 

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下徳富駅

下徳富駅ではキハ40を撮影したことがありませんでした。なかなか撮りにくい場所と決めつけて、ほとんど訪れることがありませんでした。したっけ今日、貨物ホームを発見しましたよ。この撮影場所がホームのスロープ手前の端っこあたりです。駅舎とホームの間に線路があったことは想像に難くないですが、まさか貨物ホームがあったこと自体、ちょっとした驚きでした。でも、考えてみればかつては貨物扱いをしていわけですから、あって当然。撤去されたかどうかだけの問題です。残されていたというよりも放置されていたというのが正解でしょうけど。

 

他に北海道医療大学駅付近と新十津川駅でも列車を撮影し、また於札内駅鶴沼駅では駅の撮影をしてきました。アップした3枚の画像は、ハイビジョン映像からの静止画です。メインは4Kなのですが、作品に使うので出し惜しみします(笑)。

 

晩生内~札的間では、よくひまわり畑を見かけたのですが、今年も盛大に咲いていました。畑前の国道では鉄ちゃんが10人くらいカメラを構えていました。今編集している作品にも、そういう映像を何カットか使っているので、今日は撮影していません。友人が撮ってくれたものですけどね。(感謝!)

 

令和元(2019)年8月2日

 

撮影を終えての帰り道、カーラジオで、り地域韓国がホワイト国から除外されたとのニュースを聞き、途中、とうべつの道の駅に寄ってペプシコーラで祝杯をあげました。うんうん、良きかな良きかな。