ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

池北線訪問

学生時代に一度だけ訪問した池北線を再び訪れましょう。前回は池田側から見て、足寄の手前の仙美里止まりでしたが、今回は北の方を目指します。

 

池田発09:38の北見行き933Dに乗車。池田駅ではホームの外れに停車していたので、余裕をもって改札をくぐったハズなのに、車内に入った途端、発車のベルが鳴り響いたのでちょっと焦ったさ。跨線橋を渡らねばならんし、年寄りには相当にキツイんでないかい。

先日の松前線もそうでしたが、この池北線も廃止候補にあがっていました。それもあって訪れたという次第。第三セクターへの転換が決定するのは、この翌年のことです。

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10:47 上利別駅 932Dと行き違い

JRになってもまだ国鉄時代の香りが漂っています。無人駅ではあるけれど、運転要員(列車交換のため)がいるのでホームは手入れされているのでしょう。「町の玄関」にふさわしく感じます。

 

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置戸駅

目的地に到着です。置戸は極寒冷地で雪も多く、真冬に訪れるにはそれなりの覚悟が必要でしょう。でも今は夏なのでなんもへっちゃらさ。地図を見ると、俯瞰ができそうな道路があると思ってやってきました。

 

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12:04 置戸→豊住 933D

北見側の隣駅、豊住との間に横たわる南側の山の上に道路が走っており、そこから線路が見えそうなのです。まずは置戸駅を出ると急いで常呂川の見える場所にやってきて、14分間停車していた933Dの発車を捉えました。それを見送ってから、いよいよ山道に入りました。

 

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12:45 置戸←豊住 942D

何とか木の間から抜ける場所を見つけました。

 

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13:27 置戸→豊住 947D

放牧されている牛をフレーミングしてみるものの、みんな地べたに座り込んでいるので牛らしく見えません。

 

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14:02~07 934D 置戸←豊住←境野

ようやく最後の列車で見晴らしの良い場所に出ました。この18年後、北海道ちほく高原鉄道が廃止になる1年前に、この当時を思い出してこの場所を訪れたのですが、道路脇にはうっそうと樹木が生い茂り、見通しの利く場所は遂に見つけることはできませんでした。でも、友人と一緒に何度も訪れた境野駅の食堂では、とても楽しい時間を過ごしたものです。店の名は「まくらぎ」。

 

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16:03 置戸駅 935D

下り列車に乗車し、北見からは特急「オホーツク」で帰ります。

 

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16:23~25 訓子府 936Dと行き違い

長大路線ということもあってか、列車交換可能な駅が幾つもあります。まだタブレットが健在です。

 

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北見駅

どうしたわけか、コンテナを撮っています。なんでかな~?でもJNRマークはいいぞ。もしかしてそれを撮りたかった?

 

昭和62(1987)年8月13日

 

ふるさと銀河線の廃止が決定すると、その路線のファンだった友人が「メモリアルビデオを作りたい」と言い出して、それから1年間にわたり一緒に撮影に出かけることになりました。友人の運転する車で金曜日の深夜に札幌を出発し、現地での一泊を挟む二日間の撮影でした。GWには二泊三日ということもありました。訓子府駅前の福士旅館が定宿で、この旅館はとにかく食事の量が多く、朝、夕ともお腹いっぱいになります。

1年間の撮影では、北見の運転所で重要部検査や日常的な整備の様子を収めさせていただいたり、展望映像も許可の上、全線にわたり収録させてもらいました。地元の友人には乗務員の点呼、仕業前点検や運転指令の様子なども撮影していただき、某プロダクションからは古めの映像を無料でお借りするなど、なかなか充実した映像を集めることができました。最終日には友人と手分けして(この日だけは別々の車で出動)本別、足寄、陸別、置戸、訓子府の有人駅にお邪魔して、お別れ式の模様を全て記録させていただきましたが、駅事務所内でもカメラを回しました。夜には雨が激しくなり、陸別でも置戸でも大雨の中での撮影でした。最終列車は私が置戸駅で、友人が訓子府駅で見送りました。ビデオ用の照明やバッテリーが雨に濡れてショートしてしまうのではないかというくらい酷い雨でしたが、最終列車が去った後、置戸~小利別間で路盤が流されてしまったことを後で知り、もしこれが早い時間帯に発生していたら、大変なことになっていただろうといささか冷や汗が出ました。

友人の知り合いにナレーションを依頼し、作品の完成には1か月半を要しました。自分としてはえらく時間を掛けたことになりますが、撮影した映像は50時間にも上るので、それら映像を確認するだけでも時間がかかったわけです。市販の曲を使用しようとJASRACに使用許可を求めましたが、これはレコード会社が認めてくれずに断念。しかし著作権フリーの有料楽曲に素敵な音楽を見つけて結果的にはOKでした。「メモリアルビデオ」という友人のリクエストに応えるべく、乗務員さんや運転所の方々にとっても思い出になるようにまとめ、完成品は、地元の友人に依頼して、社員の方々に配布してもらいました。

この製作で力尽きたのか、はたまた満足したのか、その後、路線廃止の最終日の撮影には一度も行ってません。