ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂へ

年末だし長距離列車は混んでいるだろうから、ここはお手軽に苗穂で撮影しましょう。

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12:48 新琴似←新川 1651D

昼食を済ませてからのお出かけとは、夕べは夜更かしして寝坊でもしたのかな?気合の弱さに単行列車が拍車をかけるようです。

キハ40 151は後にワンマン化改造を受けて795になります。

 

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12:56 新川駅 646D

新川の次の駅は桑園になっています。この当時、まだ八軒駅はありませんでした。昨日乗ったキハ40 222ではありませんか。しかもやっぱり単行。この列車は大学前(現 北海道医療大学)始発です。

222号はワンマン化改造で804号になります。

 

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13:08 札幌駅 646D

札幌駅9番ホームに列車は到着。すぐ隣には高架化される新駅舎が聳えています。新駅の側面が安普請なのは、まだ3ー4番ホームまでしかできていないからで、新駅開業後、地上駅の8-9番ホームをつぶしてから新駅の1-2番ホームの建設に取り掛かるという寸法です。

この後、苗穂へ向かいました。

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13:32 苗穂~白石 そらち・ライラック12号

いよいよこの開かずの踏切は廃止されアンダーパス化されるとの看板が立っています。道路封鎖は何のため?

急行「そらち」は滝川経由の釧路行きですが、滝川からは普通列車になります。10時間近くかけて札幌と釧路を結んでいました。滝川~新得間にはまだ需要がそれなりにあった頃です。

 

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13:47 白石~苗穂 1761M(千歳空港発、札幌行)・1188M(江別発、手稲行き)

いつもの豊平川国鉄蒸機最後の検査を受けたD51 603を、ここで見送った記憶が今でも強く残ります。その当時、上白石橋に歩道はありませんでした。

橋梁の下をくぐって反対側に移動します。今はメジャーな撮影ポイントでしょうか。

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14:18 苗穂←白石 2765M(室蘭発)

とは書いたものの、ちょっと変です。函館本線を走る「ポプラ号」なのに、室蘭始発?メモした時刻に間違いがなければ、該当する列車は2765Mしかありません。

 

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14:21 苗穂←白石 ホワイトアロー7号(苫小牧発、旭川行き)

この当時、苫小牧発着の優等列車というのがありまして、それが急行「ちとせ」とL特急ホワイトアロー」でした。

 

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14:30 苗穂→白石 北斗10号

令和元年の年末、臨時「北斗」がキハ183系で運転されているようですね。32年前の臨時「北斗」はキハ80系でした。

 

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14:32 苗穂←白石 ライラック14号

この立ち位置は、かつて東札幌駅へ向かう旧千歳線が敷かれていた場所で、この先、大きく右へカーブしていました。

 

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15:08 苗穂→白石 943列車(手稲発、滝川行き)

荷物車も郵便車もなくなり、編成に面白みがなくなった客車列車。

 

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15:11 苗穂←白石 おおとり(上り函館行き)

下り「おおとり」と上り「おおとり」は、苗穂駅付近ですれ違います。しかし、長駆運転されるその中間位置なので、どこですれ違うかを特定するのは困難。

 

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15:24 苗穂←白石 おおとり(下り網走行き)

ほぼ定時で通過していった下り「おおとり」はこの後、札幌で折り返してくる上り「おおとり」と苗穂駅付近ですれ違います。新旧二つの顔の「おおとり」が並ぶシーンとなるわけですが、そんな都合良く撮影できるわけがありません。でももしかしたら・・・と、翌日も苗穂を訪れることになるのでした。

 

昭和62(1987)年12月28日

 

今年7月末に、ヤフーブログからこちらのはてなブログに移行してから、なぜかアクセス数が増えてしまって動揺を隠せない私ですが、拙い内容のブログへお越し頂き、ありがとうございました。ヤフーブログ時代の記事もそのまま移行してはいるのですが、画像が縮小された状態となっており拡大できないのはちょっと残念かもしれません。でも私個人的には荒が見えにくいので好都合かも。

32年前の記事は年を越して続きますが、リアルな世界は今日で今年はおしまい。また24時間後の来年にお会いしましょう。

どうもありがとうございました。良いお年をお迎え下さい。