ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

廃道伝いに

塩谷で下車しました。塩谷の海岸を背景に走る有名な撮影地がありますが、そこは古い道路上にあって、そこから桃内の集落へ抜けられるようになっています。あくまでも地図上は。

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12:49 塩谷駅 3181D

小沢からの記憶はありませんが、ここからの記憶ならちょっとは残っています。まだフルーツ街道が整備されていない時代で、例の踏切から桃内の集落へ行ってみようと思います。トンネルとトンネルの間に挟まれたところなのですが、山の斜面から海を入れて撮れるような気がします。

 

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13:23 蘭島←塩谷 3168D

道がないじゃないか。有名な撮影地ですが、来てみてビックリ。海側から警報器までは道路がありますが、踏板のない踏切を渡った先に道路はありません。消失しています。踏板のない踏切って何の意味があるのでしょう。なのに警報器があるって。でもファンにしてみれば警報器が列車の接近を知らせてくれるので、ありがたい存在ではあります。ともあれ、廃道ではありますが、それらしき跡は残っているので、予定通り先へ進みます。堀淳一さんなら嬉々として歩くことでしょう。

夏と違ってクマザサ以外の草はまだ成長していないので、心配するほど歩きにくくもありません。かつては集落と集落とを結ぶ生活道路だったのでしょう。途中、薄暗い樹々の中を通り抜けながらも、踏切のある所に出ました。列車は第三桃内トンネル・第二桃内トンネルの二つのトンネルを潜り抜けます。

 

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14:12 蘭島→塩谷 2531D

畑の広がる集落に出ました。登れそうな斜面を探していたら、畑伝いに上がれる場所があったので、作業中の農家の方にお願いして上がらせていただきました。ありがとうございます。畑の一番高い端っこでカメラを構えました。手前には桃内第一トンネルが山を貫いています。

 

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15:05 蘭島←塩谷 3186D

場所を移動します。ずっと斜面伝いに歩くので、足首に力が入りっぱなしで案外疲れます。ようやく海が見えました。でも霞み気味。

踏切が見えますが、線路右側に沿っている道を踏切を渡らずにそのまま進むと、塩谷に抜ける廃道につながります。

C62狙いのファンの車が2台やってきました。ま、いいけど。ここは煙は出ないぞ。平坦だもの。

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15:31 蘭島→塩谷 C62ニセコ

本命は軽快に走り抜けていきました。海は更に霞んでしまいましたよ。ま、フォトショップの力を借りれば。

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これくらいはOK?1分加工でした。

 

撮影を終えて、廃道経由で塩谷駅へ戻ります。途中、ちょうどいい具合に列車がやってくるので廃道から撮っておきましょう。もう二度と来ることはないでしょうし。f:id:railway-photo:20200206101154j:plain

16:02 蘭島→塩谷 533D

沿線の右手には畑の跡が見えますが、その画面上のちょっと盛り上がったところが廃道で、踏切へつながります。沿線に車が2台停車していますが、そこにはおそらく廃道から海をバックに撮影していたファンと思しき姿が見えます。自分の車は画面に入らなかったのかな?それとも単に線路際で撮っていたとか。立っている足元右側に桃内第三トンネルがあります。

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広角にしての風景。塩谷駅は正面の山影にあります。

いよいよ翌日はこの撮影旅行のハイライト、銀山俯瞰に挑みます。

 

昭和63(1988)年5月3日