ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

必死の銀山俯瞰

その写真を見たのはいつ頃だったのかは覚えていませんが、銀山駅を俯瞰したものでした。何とかそこでC62を撮影してみたいと思うのは当然の成り行きでした。おおよその場所は見当が付いていましたが、そこへはどうやって行くのか。幸い、送電線が走っている場所なので、管理用の獣道があるはずなので、その道に出さえすれば何とかなるだろうという自信だけはありました。

道の分からない山に登るわけですから、いつもの行程では時間的余裕がありません。そこで、長万部始発の二番列車に乗車することとし(一番列車は快速列車で銀山通過)、前の日の晩に臨時急行「すずらん90号」で札幌を発ちました。経済的に余裕があれば小樽に一泊して一番列車で発てば済む話ですが、安くあげたい私としては、周遊券が使えるこの方法がベストでした。

 

長万部到着は03:30、それから乗車する列車の発車時刻である06:21までの3時間近くをどのように過ごしたのかは全然覚えていませんが、「北斗星1号」だけは撮影しておりました。3番ホームの列車は3157Dで、これで銀山へ向かいます。快速列車ながらも、小樽築港までは各駅停車です。そして小樽築港からは無停車で札幌へ向かいます。

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06:07 長万部駅 北斗星1号

先頭の客車はスハフ14。「北斗星1号」では、それまでの「北斗1号」の利用客を救済するためにヒルネ扱いをしていましたが、一時期、このようにヒルネ専用の車両を函館から増結しておりました。ヘッドマークは「北斗星」ではなかったでしょうけれど。

 

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オハネフ25 3

エンブレム無しでJRマーク付きといい、若番といい、一見、尾久車かと思いきや、しっかりと札幌運転所の車でした。

 

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運転開始当初、電源車は上野方にありました。上野駅での排煙と騒音の問題から、後に方転が行われ、電源車が先頭に変わります。

 

さて、「北斗星1号」を見送ったところで、3157Dに乗車し銀山へ向かいました。

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銀山駅

とりあえず、線路端をトンネルまで歩いてゆきます。そこから斜面を上がれば何とかなるでしょう。

 

緩んだ残雪を踏みしめて根性出して上へ上へと目指したら、道に出ましたよ。後はそれをつづら折りしながら辿って、上に見える送電線の方へ行くまでです。途中、へばって雪の上に寝転んだりもして。

何とかイメージしていた場所に辿り着き、もうそれ以上は場所探しをするのは止めました。

 

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10:28 銀山←然別 C62ニセコ

遠~いですが、煙がたなびいているのがお分かりいただけるでしょうか。中央から右へ横断するのは余市川で、画面の下半分が銀山北側の集落です。奥には国道5号線が見えます。

この先、列車は山の中に入るのですが、ほとんど煙だけの写真なので省略させていただきます。

で、本命ポイント。

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10:38 銀山駅通過

 

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10:39 小沢←銀山

実はこの時、二人のファンが少し遅れていらっしゃいました。帰りは彼らが上って来た、スキー場跡経由で駅へ戻りました。線路経由よりも距離は長いのですが、変な斜面ではないだけ、上り下りは少しは楽な気がします。

そしてこの4年後にはベータカムを担いでこの場所を再訪します。教えてもらったスキー場跡から登って行きましたが、その時にすでに十数人もの先客が道に並んでカメラを構えておりました。どんだけ有名な場所やねん。

C62が引退する頃には「C62ニセコ号」の写真集が数多く出版されましたが、それを見ると重度の俯瞰症を患ったファンもいらっしゃり、自分はまだまだ軽症だと思い知らされることになります。

2000年の山線迂回の時にも、この場所へ登ろうかどうしようか迷いましたが、俯瞰症がだいぶ改善され、さほど俯瞰へのこだわりがなくなっていたことと、体力に自信がなくなっていたこともあって、止めときました。

 

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11:40 銀山駅 3142D

上り列車を見送り、この30分後の下り列車で塩谷へ向かいました。へとへとに疲れていた筈なのに、塩谷ではまたまた俯瞰をやらかします。重症ではないけれど、軽症でもないようです。

 

昭和63(1988)年5月4日