ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

新琴似駅裏の開発開始か?

未掲載だった札沼線の写真です。まずは新琴似6番通りの踏切で貨物列車を迎え撃ちます。

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防風林の突っ切って8692列車がやってきます。防風林は今では散策路として地元住民に親しまれています。

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牽引機はDD13 608。
イメージ 15今のJRでは制帽着用が義務付けられていますが、国鉄時代はどうだったのでしょう。

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この頃は札幌近郊とはいえ、ローカル線らしく長閑な沿線です。

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専用線に入り、空のタンク車を連結します。信号機の立つ付近が5番通り踏切です。

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駅裏の空き地では、工事の起工式をやっているようです。マンション建設でしょうか。

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草ぼーぼー。

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駅の有効長からはみ出てしまうので、貨車数両を連結して機関車は待避線に入り下り列車の到着を待ちます。

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工事事務所のプレファブが沢山見えます。消防訓練にも見えます。

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クレーンやらトラックやらバスやら、なんかよう分からん。

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629Dが到着します。キハ21+キハ21+キハ56+キハ22。

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一気に駅がにぎわいます。

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下り列車が出発すると、機関車は転線し貨物列車に連結します。

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15:40頃で、中学生の下校時間帯になります。

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グレースケールにするのを忘れたので、少し色が乗っています。

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出席者か通行人か。どうでもいいけど。

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貨車は20両以上あり、そこそこ長い編成です。

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15:50頃、発車しました。踏切標識の機関車は何ともアンバランスな絵ですね。

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現在は高架化されて踏切はなくなりましたが、相変わらずこの4番通り(正式には「西5丁目樽川通り」と呼ぶらしい)は交通量が多いです。戦前には軍用機の滑走路にも使う目的で、当時から幅員を広くとっていたとか。今では1番通り(新琴似2条通り)も広くなりましたが(片側2車線)、2、3、5、6番通りは今でもこの頃と変わらず狭いままです。

昭和53(1978)年9月29日