ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

2412

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月21日 石原産業四日市工場

車歴は↓こちら。

2412 機関車データベース (形式2400) - デゴイチよく走る!

B6の愛称で知られる古典ロコの代表格。B6って何?という若いファンもいらっしゃると思いますが、

国鉄機関車の車両形式 - Wikipedia

↑このウィキにある鉄道作業局時代の機関車形式で、6番目のC形タンクであることを示しており、非常にザックリした分類でした。後に8620形式や9600形式でお馴染みの数字4桁形式となった際に、2100形式(英国製)、2120形式(英国製・国産)、2400形式(独逸製)、2500形式(アメリカ製)に区分されました。明治時代に誕生して勾配線区では補機として、箱根越えや福米などで大いに活躍した他、日露戦争時には大量に増備され大陸へ進出し、軍用列車の牽引にあたったといいます。

500両以上も製造され、軸重が大きいため晩年は入換用として重宝され、首都圏でもDD13が普及するまで各駅や操車場のヤードで気を吐いていました。私鉄への譲渡は、軸重の重さから限定的でした。北海道は私鉄であってもテンダー機関車が多かったのですが、それでも美流渡の北星炭鉱で活躍した2120形式2146号機と改造された2700形式2719号機(←2500形式2575号機)はファンの間では有名でした。

B6は2700形式、2900形式、3500形式といった車軸配置の異なる異形式のほか、暖房車マヌ34に改造されていますが、2400形式だけは異形式への改造車はありません。

2412は高山機関区を最後に廃車となり、四日市市石原産業へ譲渡されました。石原産業での使用後は名古屋市に寄贈され、今でも大切に保存されています。腰高の前照灯が特徴的ですが、B6の中にはこのようなスタイルがまま見受けられました。河村たかし市長は動態保存を目指しましたが、ボイラーの傷みが酷く、走行可能な状態とするには高額な費用を要するということで、静止状態のまま動輪だけを回す方式とするようです。

なお国鉄に所属した最後のB6は札幌工事区の2434だったそうです。