ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 115とC11 118

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年9月1日 岩見沢第一機関区か

車歴は↓こちら。

C11115 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

メモには小樽築港機関区とあったのですが、築港区にC11の配置はなかったので、車歴表にある通り、苫小牧支区から岩見沢第一区に異動してまもなくの頃だったのではないかと思います。

 

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昭和43(1968)年9月20日 鳥取機関区

 

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昭和43(1968)年10月3日 鳥取機関区

車歴は↓こちら。

C11118 機関車データベース (形式C11) - デゴイチよく走る!

1~23号機は一次型で、24~140号機は二次型と呼ばれ、この時から蒸気ドームと砂箱の前後関係が逆とされるようになりました。それまでは伝統的に蒸気ドームは砂箱の前にありました(C52は除く、C53では砂箱はランボード上)。

115号機も118号機も除煙板に点検口がありません。あったりなかったりするのは現場からの要求次第だったのでしょうか。

C11の愛称名として「しーのちょんちょん」とか「しーぴんぴん」と呼ぶファンがおりましたが、現場では何と呼ばれていたのでしょうね。駅の業務連絡では10番ホームを「とーれいばん」、11番ホームを「とーいちばん」、以降「とーさんばん」「とーよんばん」・・・「とーきゅーばん」「ふたじゅうばん」などと呼んでいますが、機関車の形式を「しーとーいち」とかは呼ばないでしょうね。

車輛形式の呼び方に正式なものがあるのかどうか分かりませんが、ビデオメーカーによって呼び方が異なっており、たとえばあるメーカーでは485系を「よんはちごけい」と呼び、あるメーカーは「よんひゃくはちじゅうごけい」と呼んだりしています。ファン的には「よんぱーご」でしょうか。日本の戸籍でも名前にフリガナはつけないので、どう呼ぶのかは親次第ということになり、驚かされたり困惑することがあります。

 

~追記~

元JRマンから車輛形式の現場(某運転所)での呼び方を教示して頂きましたのでここにご紹介します。

9600→くんろく
C11→しーじゅういち
DE10→でーいーとお(とう)
DE15→でーいーじゅうご
DD51→でーでーごーいち
DF200→でーえふにひゃく
キハ56→ごーろく
キハ40→よんまる
キハ54→ごーよん
キハ150→ひゃくごじゅう
キハ183→いちぱーさん(人によりいっぱーさん)
キハ82→ぱーに(キハ80はぱーまる、はちまる)
781系・785系→ななぱーいち・ななぱーご
711系→なないちいち

 

10番ホームに対しては「とーれーばん」ではなく「じゅーばん」と呼んでいたとのことです。

また「D」を「でぃー」ではなく「でー」と呼ぶのは「B」との聞き間違いを避けるためだそうで、架線を「がせん」(正しくは「かせん」)、隧道を「ずいどう」(正しくは「すいどう」)と呼ぶのと同じ理由です。

職場によっては別な呼び方もあったそうなので、あくまでも或るJRの或る現場での呼称ということなります。