田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年8月5日 札幌駅
お召列車牽引機です。左手に駅舎ビルが見えるので、小樽方面から到着した列車のようです。
脱着式補助灯ががナンバープレートの上方に。ランボード前端には灯具掛けが左右に1個ずつ。除煙板点検口無し。除煙板、切り詰めなし。旋回窓装着。そしてドーム後ろには重油タンク装備。狩勝越えにも駆り出されていたのでしょう。
昭和43(1968)年9月1日 室蘭機関区
一年の間に、装備に変化があります。補助灯LP405が定番の位置に固定。除煙板に点検口。回転式火の粉止めにはお皿がなくなりました。密閉式キャブが確認できます。
昭和46(1971)年11月23日 苗穂機関区
小樽築港区から苗穂区へ異動し、重油タンクが下ろされました。助士席側にも旋回窓があります。
気取って撮った逆光写真。
昭和47(1972)年4月9日 苗穂機関区
ドーム後部は、重油タンク設置の際に幾らか削り取られました。
昭和47(1972)年7月 西の里信号場
古い方の西の里信号場です。貨車の屋根越しに、信号場の建屋がチロッと見えます。C57前補機の重連貨物です。次位の本務機はD51でしょうか。
昭和47(1972)年7月28日 桑園駅
中体連の帰りに遭遇。桑園駅に佇んでいます。入換でもやっていたのでしょうか。
炭水車の上部左側に手摺がないのがちょっと不安を掻き立てます。
苗穂区から岩見沢第一区へ異動し、室蘭本線の客車運用にあたりました。
スノープラウの機番表示が半端ない。
昭和49(1974)年11月3日 沼ノ端駅
写真部のクラスメートと一緒に、この列車に乗って早来へ向かいました。
昭和50(1975)年3月16日 沼ノ端~遠浅
後方には上り千歳線の橋梁が見えます。標準レンズでの撮影ですが、思いっきりトリミングしました。最後まで除煙板は切り詰めされませんでした。
縁もゆかりもない東京の世田谷区に保存中。部品の欠損がかなりあるようです。
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