田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年8月6日 苗穂機関区
除煙板、切り詰め前の姿。除煙板上部ステーは815号機と同様の平板ですが、捩じり方に違いが見えます。ドーム前の大きな手摺はかつての配属区で設置されたものでしょう。
昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区
公式側の除煙板上部ステーの取り付け方が180度ひっくり返っています。
製造版は「三菱」ではなく「三車」なんですね。
区名札差しはかなり肉厚です。というか、表裏逆になっているような・・・
昭和47(1972)年7月 西の里信号場付近
ちょうど今の時期、ギラギラ太陽が降り注ぐ中、汗だくでカメラを向けた江別の鐵様の姿が思い浮かびます。
昭和50(1975)年11月8日 追分機関区
廃車1か月前の姿ですが、フロントのコの字型手摺が取り外されています。
垂直の排障器もありません。
公式側除煙板上部ステーが正規の姿で取り付けられています。
この時期にスノープラウが装備されていないということは、実質廃車ということだったのかもしれません。
車歴は↓こちら。