ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C12 203

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昭和42(1967)年3月25日 中津川機関区

車歴は↓こちら。

C12203 機関車データベース (形式C12) - デゴイチよく走る!

廃車直前の姿で火は入っていません。ナンバープレートの地の色は黒ではないようです。当時の慣習から中津川機関区所属機を示す青色を採用していたのではないかと思われます。因みに名古屋区・美濃太田区は赤、高山区・稲沢区は黒、多治見区・米原区は緑、そして大垣区と中津川区は青といった区分だったようです。

中津川区のC12は入換の他に明知線(現 明知鉄道)の貨物運用もこなしていたようです。

明知線といえば、終点の駅名は明知でも町の名前は明智町です。町内では建造物などの名前でも明知と明智が混在しており混乱はないのでしょうか。明智光秀との関係は不明。明知鉄道になってから明知駅は明智駅に改称しており、今度は鉄道名と駅名が不一致。もう訳わからん。満島ひかりさん演じる明智小五郎は男なんだか女なんだかよう分からん。九州の由布院と湯布院も混乱しがちな地名ですが、こちらは命名の経緯がはっきりしています。

この画像の頃は飯田線本長篠駅から豊橋鉄道田口線(昭和43年廃止)が北上しており、明知線はこの田口線と結ぶ計画があったとかなかったとか。めでたくつながっていたとしても山間の路線にどれだけ需要があったか甚だ疑問です。まだ名鉄三河線と結んだ方が距離的にも名古屋に近いでしょうに。