ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C55 47

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年6月14日 幌延駅(348Dより)

みったくない可哀そうな姿の47号機。「鉄労は国民の敵だ」とはどの口がほざく。自分たちこそが国民を敵に回していることにも気づかず、だから民営化でばっさり切られたんじゃないの。JRへの不採用や不適正配置に関して裁判沙汰になっても国民はだれ~も味方しないし。ま、割を食った多くは国労の組合員だっただろうけど、動労はホント酷かった。国鉄を潰したのはこいつらと言っても過言ではないでしょう。

 

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昭和48(1973)年11月26日 旭川機関区

車歴は↓こちら。

C5547 機関車データベース (形式C55) - デゴイチよく走る!

フロントステップの移設、除煙板前端への手摺増設、除煙板点検口蓋の撤去、旋回窓取り付け、補助灯設置、ざっとそんな改造が見受けられます。ドーム前には、尻尾のような部品が取り付けられていますが、いまだにこれが何かは分かりません。他にキャブ密閉化、ボイラの取り替えなども行われています。

昭和30(1955)年頃が旭川機関区におけるC55の最盛期で、小樽築港区からの機関車を迎え入れて、1、16、17、30、31、32、42、43、47、48、49、50、59号機と、実に13輌ものC55が在籍していたようです。まだ生まれる前ですが、機関区に集うC55軍団の姿を拝んでみたいものです。

 

苗穂工場で捉えた廃車体です。撮影から実に47年も経ってから機番が確定できました。

奥に居るのは50号機です。

昭和49(1974)年10月6日 苗穂機関区

この日、すでに苗穂機関区に生きた蒸機の姿はなく、DD51だけが生き生きとエンジン音を鳴り響かせていました。蒸機末期となり、機関区に佇む蒸機からの部品盗難事件が相次ぎ、機関区への立ち入りは禁止されていましたが、蒸機なきこの時には出入りが解禁となって久々に機関区へ入ることができました。