田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年3月18日 鹿児島機関区
職員が機関車付近で何やら作業をしている風なので、検査か点検の最中でしょうか。こんな現場の光景をさらっと撮影させてもらえたのも、昭和時代の良い所でしょうか。たとえ少年であっても「安全に行動する」「オイタはしない」といった人間として常識な行動をとることが当たり前だった時代とも云えるでしょうか。
昭和46(1971)年2月18日 霧島西口駅
電化で余剰となった機関車が、あちこちの駅に留置されていたようです。この駅にも3輌は留置されていたようです。貨物用のホームなのでしょうか。真ん中の機関車は、除煙板の特徴から13号機であることが分かります。
図面を見ると、戦後型C60やC62と同様に製造当初は動力式逆転機を装備していたようですが、運転操作上の観点から多くが手動式に交換されており、動力式を装備した写真にはなかなかお目にかかれません。(C62ではあります。)
タ:タブレット
シ:信号
カ:客扱い
ニ:荷物
をそれぞれ表しており、すべてが確認されれば列車を発車させてよいという標語です。このような標語は今でも各方面で見かけますね。
「いか・の・お・す・し」
「ふ・ぐ・の・さ・し・み」
「と・り・の・か・ら・あ・げ」
なんか、食い物ばっかじゃん。
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