ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

相生線 北見相生駅

dd51 1135様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和60(1985)年3月23、24日

相生線もまた、私には未知の路線です。国鉄時代に9600が貨物を牽いていたという認識しかなく、この当時は起点駅である美幌にすら行ったことがありません。

国鉄由来の相生駅は、これまで3カ所あったようですが、その中で最もメジャーな山陽本線相生駅は、もともと那波駅と呼ばれていました。これが相生駅に改称したのが昭和17(1942)年のことで、北見相生駅開業の大正14(1925)年よりも後の事。長良川鉄道相生駅は、国鉄越美南線時代には美濃相生駅でしたし、残るはわたらせ渓谷鐡道の相老駅。足尾鉄道として開業した明治44(1911)年当初は相生駅と名乗っていました。北見相生駅よりも古く、これが元祖「相生駅」だったので「北見」を冠したのかと思いきや、わずか1年と少しで相老駅に変更しています。となると、北見相生駅が開業した時に、相生駅は存在しなかったことになります。相生線の相生駅で全然問題なかったように思うのですが、一体どこの駅に斟酌して「北見」を冠したのでしょうね。

現在、相生鉄道公園として、駅舎・複数の鉄道車輛とともに保存されています。

 

因みに、磐越西線磐梯熱海駅はもともと熱海駅でしたが、東海道本線の熱海が超有名になってしまったため、已む無く磐梯熱海駅に改称して混同する事態を避けることとなりました。鉄道ファン的には、磐梯熱海駅の方が何百倍もワクワクしちゃいますけど。

ついでに佐賀県鹿島市茨城県鹿嶋市茨城県の方は、鹿島町と大野村との合併により市へ昇格する際、「鹿島市」を名乗る気満々でしたが、すでに佐賀県に同名の市が存在していたため、ちょっとしたすったもんだの後に已む無く鹿嶋市にしたと云われています。しかし、鹿島の地名は古くから使われており、またサッカーJリーグの鹿島アントラーズのチーム名でも知られるように、この地域では「鹿島」が一般的に使用されています。駅名、地名ひとつとっても、そこには歴史がありますね。