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昭和42(1967)年8月19日 青森機関区
前照灯の受け台の位置が特異です。なぜ中央ではない?2号機も変な位置に取り付けられていました。
背面のステップは、手摺を増設して梯子タイプになっています。同じ青森区の6号機とはステップの数が異なります。
昭和47(1972)年3月 宮崎駅
東北本線や奥羽本線の電化により余剰となった一部のC61は九州へ転配されました。
青森区時代に装備していた補助灯と煙突両側にあった小除煙板は撤去されています。C61の小除煙板はC60のそれとは形状が異なり、単なる衝立のようですが、C60の方はお尻がくいと上がりスタイリッシュな印象を受けます。
機関士側の旋回窓はそのまま残されています。雪でなくても、雨の日にも旋回窓は威力を発揮します。
前端梁まで引き通しされた蒸気管は青森区時代からのもの。
フロントの手摺は宮崎区に来てから増設されたものでしょうか。確かに除煙板取り付けのものよりも、こちらの方が使い易そうです。
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