ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D50 143

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

ついさっきまで片頭痛の予兆である目がチカチカして、物が良く見えませんでした。良くみえないままYouTubeのコメントに返信したので、文字の打ち間違えがあったかも。この後、本命の頭痛が襲ってくるかな~。やだな~。一昨年のは強烈だったな~。

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昭和42(1967)年8月5日 岩見沢機関区

車歴は↓こちら。

D50143 機関車データベース (形式D50) - デゴイチよく走る!

残念ながら、火が入っているようには見えません。函館本線室蘭本線の運用に就いていたことでしょう。

除煙板の設置に伴い、フロントデッキにあった手摺が撤去されています。それにしてもD50の除煙板の点検口はどれも小さめですね。

ボイラーを跨ぐ梯子は、原設計通り、蒸気ダメと砂箱の間のまま。

煙室扉の手摺はちょっと内側に寄ってますね。開閉には力が余計に要るのでは?

機関士席のキャブ前窓は旋回窓ですが庇はありません。

炭水車はリベットの位置から12-17形式(石炭12トン、水17立米搭載)であることが分かります。

 

蒸気機関車のキャブは密閉型であったとしても隙間風がびゅんびゅん入って来るので、冬場はめっちゃ寒かったんだとか。夏場はクソ暑く、冬場はクソ寒い。最悪の労働環境ですね。居眠り運転できるような快適性はゼロで、トンネル内では煙で窒息し気絶してしまったり、最悪、窒息死することもあったといいますから、まさに命懸けの運転です。動輪の車軸が発熱し、しかし機関車を交換する余裕がなかった時に、あと一駅ということもあり、台枠の中に作業員が潜り込み車軸に油を差しながら運転を続けたというとんでもない話が戦前にはあったそうですから、もうなんというか、凄いです。

 

段々と頭痛がしてちょっと吐き気も催してきましたが、この分だと今回は軽く済みそうです。今日、明日と連続して吹雪くようで、こっちの方がヤバそう。今朝の雪掻きでちょっと足と腕の筋肉が痛いぞ。