ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 55

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和43(1968)年12月26日 森駅

補助灯はあるものの、除煙板の切り詰めは未施工。それにしても、いい場所で撮影しています。下り貨物列車になりますが、右側には貨物ホームに留置している貨車の姿があります。

 

昭和46(1971)年11月23日 苗穂機関区

53号機や54号機とは異なり、形式と番号の間にスペースのある、窮屈ではない書式のナンバープレートです。除煙板点検口は蓋付き。この蓋は、フロントの先輪釣合バネカバー前面蓋とは異なり、蝶番は前寄りに統一されているようです。

 

煙室扉の取っ手、除煙板前端の手摺、フロント部のステップ、なんかみんな斜めっています。

↓キャブ側面のナンバープレートも心なしか前上がりに傾いているような。

昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区

スポートで給水中。クレーン車で給炭を終えてから、この場所に移動したように思えます。苗穂機関区へは何度も行ってるのですが、作業なんかほとんど見ちゃいなかったので、その段取りはほとんど記憶にありません。観察力に乏しいのは、今でもほとんど変わっていないのが我ながら残念です。

 

昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

以前の記事で触れたように、キャブの密閉化に伴い、炭水車は干渉を避けるために、前端部は後退角を持つ3面折れに改造されました。

個人的には密閉キャブの方がプロポーションがいいように感じます。キャブ屋根の後ろへの張り出しがほとんどないというのはちょっと寂しいですが。

くるくるぱーとドームカバーとの干渉部の処理が絶妙に見えます。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5155