ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 125

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和46(1971)年6月26日 中津川機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51125

長工式の集煙装置を装備しています。長野工場で考案されて製作されたものですが、採用された線区は意外に広範囲で、地元の篠ノ井線信越本線中央東線・西線の他に、遠く山口線肥薩線D51にも搭載されていました。肥薩線では敦賀式の集煙装置も使用されていました。これは、長野方面から人吉機関区へ異動してきたD51では集煙装置をそのまま利用していましたが、集煙装置の天板開閉が手動式であったため、一部のD51では空気式の敦賀式に交換して(人吉区で製作したものなのか、お取り寄せしたものなのか、はたまた他の機関車から転用したものなのかは不明です)、機関助士の負担を減らしたということのようです。また、長工式のものを空気式に改造したケースもあったようです。

集煙装置はあるものの、炭水車の上に重油タンクは確認できません。

メーカーズプレートも換算票板も外されて、キャブ側面はちょっと寂し気。かつてはタブレットキャッチャーも付いていたのでしょう。

機関区内にも架線が張られており、作業等で蒸機に上がる際にはまさに「架線注意」です。

現在は船橋市で保存中。

 

集煙装置を載せていない、SAMPUKU爺様の画像が出て参りました。

昭和42(1967)年3月25日 多治見機関区

同じ煙突回りの装置ですが、集煙装置は好まれるケースが多いものの、回転式火の粉止めは嫌われる方が多かったですね。