昭和43(1968)年10月3日 鳥取機関区
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D51322
重油タンクと集煙装置を載せていますが、車歴表を見ると、集煙装置は様々なタイプを載せてきたようです。敦賀区の時には敦賀式を、鳥取区に異動すると後藤式に載せ替えたと思ったら更に鷹取式に載せ替えた姿が、掲載画像のもの。ググってみると古い姿の画像が散見でき、シールドビーム姿で後藤式を載せたものが確認できます。米子区に移ると一旦、集煙装置を下ろしてしまいますが、それから鳥取区で再登板し、再び米子区に舞い戻った際には、後期後藤式を載せることになります。米子区の意図がよく分かりません。
エプロンはこの後、ちっちゃくなっちゃいます。
タブレットキャッチャー設置により、ナンバープレートの移設された痕跡がキャブ側面にしっかり残されています。
321号機とは異なり、重油タンクを背負いながらも、炭水車には増炭枠があります。山陰本線など、運用路線には電化区間がなかったからでしょうね。その重油タンクを載せるにあたり、ドームの後端がわずかに切り落とされているのが真横の画像で確認できます。
除煙板は吊環があるタイプ。除煙板前端の手摺4本は、綺麗に揃っていませんね。