ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 25

matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

機番、だいぶ戻ります。

昭和42(1967)年8月19日 福知山機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D5125

形式入りナンバープレート姿が凛々しいです。ナメクジの重油タンクを背負う姿には賛否両論がありそうです。ドームの後ろが切り欠かれているのが、この角度からでも分かります。重油タンクの直後に2本の安全弁が控えています。

後部標識灯は、どうして段違いに取り付けているのでしょう。

除煙板の点検口はちょっと腰高の位置に明けられています。

煙突の裾部に引っ掛けてある円盤状のものは何なのでしょう。煙突の蓋?

キャブ前窓の庇が長いです。

若番なのに、国鉄の蒸機末期まで車籍を残していました。現在は兵庫県三田市で保存されていますが、この時の姿とはいささか異なっているようです。何より、ナンバープレートが形式無しのものになっちゃったり、フロントの灯具掛けがことごとく撤去されたり、煙室扉の取っ手が1カ所になったり、エプロンがちっちゃくなったりと、表情が変わっているそうな。それが吹田一区でそうなったものなのかどうかは分かりません。