ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 444

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月17日 鷲別機関区

除煙板の切り詰め、補助灯の設置が実施される前の姿。室蘭本線は電化の遥か前ですが、函館本線に入線することがあるために「架線注意」札が貼られているのでしょう。

除煙板の点検口には蓋がありません。

先輪はディスクタイプに履き替えられています。

 

昭和43(1968)年12月24日 岩見沢

北海道仕様の姿になりました。

右側のホーム上には台車が置かれています。台車は荷物運搬車と呼ばれるもので、列車のように連結が可能で、これに荷物を載せてターレットで牽引します。荷物運搬車は更にテルファを使って所定のホームへと移動します。

なおホーム先端には給水用のスポートが設置されています。架線があるのでどのように作業していたのでしょう。それともすでに使用を停止していたのでしょうか。

 

昭和47(1972)年6月18日 追分機関区

「顔面」には違法ストによる落書き跡が残されています。蒸気は隣の機関車から流れてきたものでしょうか。キャブ側面には製造銘板、車輛換算票が貼られています。

 

昭和48(1973)年8月10日 植苗←沼ノ端(千歳線

下り千歳線を行くタンク列車です。機関車が吐き出す火の粉でタンク車が爆発するんじゃないかとヒヤヒヤしたものです。

 

昭和48(1973)年11月25日 北見機関区

1年半ほどの短期間ながら、北見機関区に配置されました。苗穂工場のような大規模工場で見られる天井クレーンではなく、大型のジャッキアップ装置で車体を持ち上げます。北海道ちほく高原鉄道の北見運転所でも同様の装置を使っていましたし、蒸機亡き後の鷲別機関区や五稜郭機関区でも同様の装置でDLやELをジャッキアップしていました。

一般のLP405形式の補助灯以外に、道東でよく見られる後部標識灯っぽい補助灯が追加されています。石北本線時代の象徴的姿でしょうか。

 

昭和50(1975)年7月13日 滝川駅

ドーム前のコの字型手摺は苗穂工場のものではないので、本州時代に取り付けられたものでしょうか。

酒田区時代に延長されたというキャブ屋根は、元の長さに戻されています。

現在、北見市にて保存中です。レプリカのナンバープレートはちょっと小さめかな。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51444

 

先日、ヤフオクでプレスアイゼンバーン発行の「D51」の「1」と「2」を落札しました。1回目の出品では入札ゼロで終了し、2回目の再出品でも私以外の入札はなく、結局、競うことなく開始価格で落とせました。この写真集はいつも高額での出品なので、なかなか手が出せませんでしたが、今回は2冊合わせて定価未満での落札です。これはかなり奇跡的なこと。残るは「3」ですが、これもなかなかの高額でしか出品されないので気長に待つしかないでしょう。で、肝心の中身ですが、期待していたほど形式写真は多くはありませんでした。他の雑誌や写真集からの再掲もありましたし。また資料的な記事は「1」に集中し、「2」では車歴以外はほぼ皆無。「2」には東北地区の写真が多いので、東北の蒸機の特徴を解説した記事があるのかと期待していたのですがね。

また、ほぼ同時期に鉄道図書刊行会発行の「国鉄電車形式図集」全3巻も落札しました。こちらは即決ですが、かなりの低価格でした。国鉄車両の形式図集といえば誠文堂新光社のものがメジャーで「国鉄電車」も「旧性能電車」「直流電車」「交流電車(交直流も含む)」と揃えて持っているのですが、鉄道図書刊行会のものは車輛諸元と廃車日以外の解説も写真も全くありません。その代わり、具体的な車番ごとに図面が用意されています。発行年も異なっているし、それぞれに特徴があってよろしいかなと。